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帰りにケーキを買ってくる旦那は十分優しいと思うのだけど

これは自己中心的な考え方だと思うので非難されても仕方ないのですが、あまり人に優しくしないように注意しています。
私は自己肯定感が低い上に承認欲求が強い人間なので、自分を犠牲にして人の役に立つことに快感を覚える節があります。
なので、「誰かが喜ぶから」と自分の生活を後回しにして行動してしまうことがよくあります。
その誰かが、自分にとって大切な人ではなかったとしても。

でもこれは、絶対に長続きしないし、善い行いとは言えないと思うんです。
もちろん「やらない善よりやる偽善」だとは思うけども、それも自分がちゃんと生活できてこそだと思います。

考え方を改めたのは、結婚をしてからです。
生活を共にするパートナーができたことで、自分自身の生活が破綻することは、そのパートナーの生活も脅かすことになるのだな、と実感しました。
一度にたくさんのことを考えられない性格なので、忙しいと家事が疎かになってしまいます。
目の前の大切な人の生活を守れずして、何が優しさだ、と思うようになりました。

旦那は、根本的に私と性格が違います。
自己肯定感は高いので、自分を犠牲にすることは少ないのですが、そのぶん「自分って優しい人ではないのかも……」と常々考えているようです。
それを考えられるだけで、優しさを持っていると思うのですが、本人の感覚としては違うみたいです。
ただ、旦那が持っていないのは”生まれ持った優しさ”みたいなものであり、それがないなりに相手のことを考えて「こうしたら喜ぶんじゃないかな」ということを行動に移すことができます。
つまり”考えて親切にできる人”なんです。十分ですよね。

でも、自分は優しい人ではないから、ちゃんと考えて優しくしなきゃ、と思っているところがあるので、「それは大切な人限定にしてね」と言っています。
考えすぎかもしれませんが、ホームから線路に落ちた人を助けに入ったりしてしまうんじゃないかと、時々心配になるんです。
「だって、落ちて困ってたから」とか言いそうなんですよね、淡々としたテンションで。

なので、定期的に「お前の命が何よりも大事だ」と伝えています。
人にどう思われようと、優しくなかろうと、そんな些細なことはどうでもよくて、とにかく毎日を生きることがまず重要なことなんだと、ウザがられながらも言っています。
誰かの英雄になって命を落とすよりも、助けられなかった弱さを抱えて私と一緒に生きて欲しいと、そう思うんです。

念押しで、「私より1秒でも先に死んだら後追うからな!逃げられると思うなよ!」と言っています。

こんな言い方はふさわしくないとわかっているけれど、この騒ぎで亡くなる人は、罹患した人だけじゃないと思うし、そろそろその影響が出始める頃だなと思います。
命を落とさないまでも、今までとは生活が全く変わってしまう人がたくさんいるはずです。
お互いに助け合ってこの危機を乗り切ることは大切だけど、自分自身の生活もきちんと大切にして、毎日を過ごして欲しいなと思います。
命あってこそ、生活があってこそ、人の役にも立てるってことです。

毎日「明日こそ楽しい話題を」と言いつつ、なかなか書けませんね。
今日は朝から電車が止まっていたので、仕方ないです。
明日は、美味しいものか、楽しいことを。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!