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運命の黒い糸を求めて

人間関係というものは私のような陰気な人間からすると大抵は息苦しいし振り返りたくないものである。しかし、私の心の深淵にある本当にデリケートなワタシは運命の黒い糸で結ばれた人間関係を求めている。フロムの著書である「愛するということ」に於いて、以下のように述べている。

資本主義社会では、物だけでなく愛においても、「あなたが私にくれるだけ、私もあなたにあげる」というのが、もっとも一般的な倫理原則となっている。

この一般的な倫理原則は恋愛関係だけでなく、広義の意味として交友関係や家族関係の間においての愛についての原則であろう。また、超訳すると人間関係に於いて愛は量的または質的に等価交換されると倫理的に望ましいと解釈できる。

私はフロムが指摘した原則を皆は意識してなくとも潜在的に感じ認識していると思う。大人の階段を一歩一歩登っていきそろそろ飛び降りるのを躊躇する高さくらいの人生経験を積んだ頃合いに形を成し始めるだろう。


一般的な倫理原則が成立している関係を白い糸とする。白い糸で結ばれた関係は利害関係それ自体による動機付けとなり私のようなコミュ症ニンゲンにとって大義名分を得ることができる。しかし、このような関係は出来るだけ少ない方が良い。なぜなら、白い糸は常にプラスマイナスを計算させる悩みの種でしかないからだ。

ならば、どのような人間関係が善いといえるだろうか。それは黒い糸で結ばれた関係である。黒い糸というものを具体的に言葉にするのは難しい。少なくとも白い糸ではなく、ワイヤーの如く硬い強度を誇り、イデア世界にあるものである。黒い糸は利害関係などというもとは脳の片隅に残らず排除する。例えば、自分の誕生日を祝って貰ったから相手の時もそうしてあげようなどとは考えてずに純粋に相手の誕生日を祝い、自分の貰ったプレゼントと同額くらいのものを用意するのではなく相手の本当に喜ぶプレゼントを渡さなければならない。しかし、これは意外に難しい、なぜならこれは理想論だからだ。しかし、理想を追い求めて始めて理想的な関係性に近づくのではないだろうか。