小林賢太郎の解任について

小林賢太郎解任。
このニュースを見た時、何が理由?なんのこと?
と、目の前のものが現実なのかわからなくなった。

僕にとって小林賢太郎は恩人だし尊敬する人。
それは昔からずっと変わらない。

僕が大学から20代前半の時、もう死のうかと思うくらい孤独を常に感じていた。
仲の良い友達や彼女はいたけど、その人たちと一緒にいる時、自分が自分じゃないような気がしていた。
今考えると友達は僕のことを本当に理解してくれていたと思うけど、その当時はその気持ちすら理解できないほど気持ちは落ちていた。

正直いうと特に何があったわけでもない。
高校の時に自律神経の問題で学校に行けない時期が半年以上あったから、その病気の関係もなかったわけではない。
学校という場所に対して嫌悪感があったり、いくだけで吐き気がしたりという症状は時々出ていた。
そんなことが続いて常に孤独を感じるようになっていった。その当時、周りの人からは「人を見る時の目がゴミを見るような目をしてる」と言われるくらい人を人としてみていなかったし、この世界に人間は自分一人と思うくらいに考えていた。

そんな僕を救ったのが、小林賢太郎のポツネンだった。
近くのDVDレンタル店でなんとなく借りたもので、最初は「ラーメンズの人だ」くらいの気持ちで見ていた。
ガーッと引き込まれるくらい笑った。面白かった。
クスっていう笑いばかりで爆笑という感じではなかったが、見ていく時間が長くなるにつれてどんどん惹かれていった。爆笑も増えていった。
気がついたら、返却したらすぐにまたレンタルするという生活を数ヶ月繰り返していた。(買えよ笑)

昔から笑いはとても好きだったのにDVDを見たりはしていなかったのだが、ポツネン以降は積極的にお笑いのDVDを借りたり、テレビでの特番を見たりするようになった。
要するに笑いが自分を取り戻す方法だと理解したのだ。
それ以降、人と話しても笑顔でいれるようになったり、優しい目で人を見ていると言われるようになったり、と人間とし大きく変わった。
そのきっかけは明らか。
小林賢太郎だ。
人の人生を変えるくらいあの人の笑いは素晴らしいと思っている。

その人が20年以上も前にやったコントの1セリフによってひどく糾弾されている。
あの言葉は言っていけないこと。
それは間違いない。
笑いを取るために言ってはいけなかったものではある。

でも、でもだ。
それで、あの人の全てが否定されるのは違う。
言ってはいけない言葉を言ってしまったこと。
それが問題になる言葉だったことは小林賢太郎も気づいていたであろう。やってしまったな、と。
だからこそ、謝罪の時に本当に悔いている言葉を残したのだと考えている。
人間的に未熟だった、その時に発してしまった言葉だったからこそ悔いているのだと思う。

今回のことがあったとはいえ、今後も僕はあの人を応援していこうと思う。
僕にとっては、人生を変えてくれた恩人だし、ずっと尊敬する人であることは間違いない。

この件で小林賢太郎が作品を作れなくなったり、酷い扱いをされないことを切に祈る。

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