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noteを毎日続ける意味

最近、ダルイな面倒くさいな辛いなって感じることがある。それはもう色々と。生きてればガッカリすることだってあるし、悲しいこと、理不尽なことだってある。そんなことを考えながら絶望している僕だが、昨日嬉しいことがあった。それは、僕の大好きなオカザキマサヒロさんと一緒にお話したことだ。

もともとLINEは交換してあったので交流は盛んだったけど、久しぶりにお話できたことで、何だかモヤモヤしていた気持ちがスッキリした。休みの日は誰とも会わず会話もせず、ただ黙々と文章を書いては、研究に打ち込み、勉強をするという日々を送っているけど、そんな決まりきったルーティンワークをこなしながら人との接触を断っていると、人の心は病んでいくものだ。

人と話すって楽しいんだな、そう久しぶりに電話越しで人と会話して思った。noteを継続することに意味あるのかな、毎日更新することって大事なのかな、色んなことを話した。気づけば2時間近く話してた。長いようにみえて短くも感じたし、あっという間だった。

何だか話してるだけでも落ち着くんですよね、とても幸せです。徳島大学のスタッフさんと出会えたこともそうだし、noteを続けたことで、人と出会い関係を築けたことは、大きな財産になった。

よく生きてると深く考え過ぎてしまい、生きづらくなるときってあると思うんです。だけど、何も考えず、バカになるってことも大切だよって、オカザキさんが言ってるのを聞いてフムフムなるほどと頷いた。

論理を立てて、物事を考える癖があってか、理屈っぽいことばかりを中心に考えて泥沼にハマるってのが、いつものお決まりのパターンだけど、考えることが逆に、その問題を複雑にしていき、人を苦しめる呪いにだってなるんじゃないかなって思った。

生きてて積極的に死にたいワケでも、積極的に生きたいワケでもないけど、言葉を持つことによって、それが人を傷つける道具へと発展したり、ありもしない世界を想像することだってできちゃうワケ。だからよく、なんで生きてるんですかって哲学的な問いを自分に投げかけて思考してる。

友達が多いワケでもなく、悲しみに浸りながら生きてる僕だけど、noteを始めて、オカザキさんと出会って、徳島に縁ができたのは大きな成果だ。

継続するためには、小さな変化を起こしていく必要もあると思うけど、noteが孤独を癒す場所として機能し続けるかぎり、意味もなく毎日更新することはあると思う。

これから先もっと、大きな壁にぶち当たったり、苦しむことだってあると思う。だけど、そんな悩みや苦悩をnoteに書き綴りながら、消化していくことで、人生の彩りは増えていくと思う。

あるときは、生活を支える基盤として。あるときは、セーフティネットとして僕を生かし続け支えるだろうから。生きててよかったよ。また、辛くなったら電話してもいいですか?

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