見出し画像

鵺(ぬえ)との闘い

 このところ日本でも報じられているインド各地の騒乱について、現代インド仏教の側から少しご説明したいと思います。
あらかじめご存知の方もいらっしゃるでしょうが、事の発端は、総理大臣ナレーンドラ・モーディー氏と政権与党BJP(印度人民党)が打ち出したCitizenship Law(不法移民に市民権を与える法律)でした。市民権授与の対象とされた移民は、インドと国境を接したアフガニスタン、パキスタン、バングラデシュからのヒンドゥー教徒、キリスト教徒、スィク教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒、そして仏教徒です。しかし、国内で二番目に信者が多く、多数派のヒンドゥー教徒と対立しているイスラーム教徒は除外されました。これは、国の根本理念である非宗教主義に反する法であり、また現行インド憲法が依って立つ〝正義・自由・平等・博愛〟の四本柱をも傷付けるものです。
 さて、このように極めて「宗教的」な法が新たに作られてしまった背景には、一体何があったのでしょうか。
1989年の冷戦終結後、世界各地で起こったペイトリオティズムの風を受け、インド国内でもヒンドゥー・ナショナリズムが台頭し始めました。ヒンドゥー教というのは、誤解を恐れずに言うなら〝鵺 (ぬえ)〟や〝キマイラ〟のようなもので、人々が恐れ敬う聖性や魔性を片っ端から飲み込み、習合させて、それらを世俗の支配原理『カースト制』のもとで纏め上げたものです。そして、ヒンドゥー教徒たる第一の条件は「インド人である(もしくは、なる)こと」です。そのためヒンドゥー教義では、異国の異教徒を「ムレッチャ」と呼び、いわゆる「不可触民」と同様な存在として蔑視します。
このような視座から今回の市民権法を見るなら〝いかにもヒンドゥー教らしい〟一面が浮き彫りになると思います。各地に抗議デモを引き起こし、多くの死者まで出しているこの新法は、ヒンドゥー教以外の信仰を持つ側からすれば「生き延びたいなら長い物には巻かれろ=ヒンドゥー教の一宗派になれ」ということなのです。
法の適用対象とされた六宗教のうちキリスト教とゾロアスター教は〝異国の異教〟、ジャイナ教はインド生まれの宗教でヒンドゥーに親和的、スィク教と仏教はカースト制を否定します。まさに、てんでんばらばら、と言ってもいいこれらの六宗教をひと括りにして「長い物には云々」とは、もはや民主主義の原則すら無視しています。適用対象外とされたイスラーム教については、常に緊張関係にあるパキスタンの国教であるため余計な軋轢を避けた、と見ることも出来なくはないですが、度重なるインド国内の宗教紛争を考えれば「敵の勢力を増やしたくないから」というのが本心でしょう。

 だいぶ端折った書き方をしましたが、最後に仏教について。
インドの仏教は十三世紀初頭に滅亡し、1956年10月14日に「不可触民」出身の初代法務大臣アンベードカル博士によって復興宣言がなされました。その後、博士の志を引き継いだ佐々井秀嶺師(1987年インドに帰化)の努力により、今や虐げられた民衆の差別解放と社会改革の精神的支柱となっています。つまり、日本の皆さんがイメージするような〝侘び寂び〟の仏教ではないのです。
南インドのラッパーが歌うタミル語RAPのアンベードカル讃歌『ジャイ・ビーム!』https://youtu.be/cBCl7xKcyDA

 市民権法の適用対象として「仏教徒移民」も含まれていることに注意すべきでしょう。この場合、想定されているのは、主に中国領からアフガニスタンやパキスタン経由で移民して来たチベット仏教徒や、バングラデシュからのチャクマ仏教徒でしょう。いずれ日を置かずに国際問題化することは目に見えています。一方、インド国内におけるヒンドゥー教社会の被差別階層、いわゆる「ダリット」の仏教改宗は、依然として抑圧されています。

 移民先で生きる延びるためタテマエ上は従来の信仰を掲げながら社会的には多数派ヒンドゥー教の一宗派に甘んじた外国の仏教徒が、長い間インド社会の最底辺に押し込められようやく人間として生きられるようになった仏教徒を、差別する‥‥。
 そんな地獄は、何としても避けねばならないと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?