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詩聖とインド世界/映画『タゴール・ソングス』を観て

《※上はタゴール師とガンディー翁が会談した際の写真》

 話題の映画『タゴール・ソングス』を観賞しました。大方の評判通り、優れた作品だと感じました。おそらく今後、関係各方面での授賞が相次ぐことでしょう。また、本作を通じて「インド」という重層的で多様性に溢れた〝世界〟に関心を持たれる方が増えていくことも期待しております。
そこで拙稿では、本作で語られなかった事柄について、少しばかり綴りたいと思います。

 私が「タゴール」の名で最初に思い出すのは、故山際素男先生の著書『不可触民の道』(1982年。三一書房)165頁に記された以下の出来事です。
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 サンチニケタンで、牧野財士教授から、ナグプールという街に十五年間〝不可触民〟と暮らしている一日本人僧がいる、と教えられた時、私は強い衝撃を受けた。その一言は青天の霹靂のように私の耳を打った。不可触民の人びとと接する以前であったら〝物好き〟な奇人がいるものだ、位にしか受けとらず、恐らく聞き流していただろう。
 不可触民の中で暮らす、それも十五年間も。この言葉だけで、それがどれほど大変なことであるか私には直感できた。大変以上の、〝何かが〟そこにはある。それは只ならぬ事に違いない。(中略)
 カルカッタから真直ぐナグプールへ飛んだ。

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 サンチニケタン(シャンティニケタン)とは、ウエスト・ベンガル州にあるタゴールゆかりの地です。牧野教授は「インド人よりもインド人らしい」とインド人から讃えられた斯界の先賢、山際先生は『マハーバーラタ』『ブッダとそのダンマ』の全訳、また長編小説『破天』を世に送り出した作家氏。
今から四十年ほど前にインドの学園都市で交わされたこの会話が、やがて日本に「佐々井秀嶺」という驚天動地の存在を知らしめる嚆矢となりました。
 ナグプールに着いた山際先生は、当時47歳だった佐々井上人から、ぴしり!と鋭く指摘されます。
「その、ニューブッディスト、というのはいけませんです、な。それは、差別しようとする人たちの〝言葉〟です」
New Buddhist。日本で「新仏教徒」と直訳されるこの呼称は、インドの圧倒的多数派たるヒンドゥー教徒にくみした造語です。カースト制度の呪縛から解放されるため人間平等を説く仏教へ改宗した人々にNew (新)を付けることで、わざわざ被差別階層の出身者であることを周囲に晒す呼び名なのです。

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〈今もインドで「不可触民」と共に生きる佐々井秀嶺上人。85歳〉

 さて、文学研究者の大沼郁子先生は「日本女子大学大学院紀要」家政学研究科・人間生活学研究科第24号『山室静とタゴール』105頁で以下のように記しておられます。
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 タゴールはカースト制度を非難しながら,彼の学校では身分違いの生徒が異なるテーブルで食事をしていた。ガンディーはその身分差別を批判したが,タゴールは学生に強制してはいるわけではないと答えた。こうしたあり方が,学生たちにとって自然なのだと反論した。
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 時代背景や国柄も異なりますが、ここで指摘された身分差別を現代日本のイジメ問題に置き換えて考えた場合、そんなことを言う校長は、私なら御免蒙ります〔あくまで個人的な感想です〕。
 芸術家の創作とその人格が必ずしも一致しないのは珍しいことではありません。美しい詞(ことば)を綴った詩人が、現実では身分差別を温存助長していたとしても、驚くに値しません。しかし、「詩聖」の目には映らなかった──或いは視界に入っても見えないことにしていた──人間たちがいる事実は、認識しておくべきだ、と私は考えます。
 ちなみに、タゴール師に対し上記のような批判を展開したガンディー翁ですが、彼自身は、大英帝国植民地支配からの独立を最優先課題と考えていました。そのため、インドを統一する制度としてカーストを残しつつ、あくまで道徳的な側面から差別心を無くすべき、と主張しました。典型的な例を挙げれば、選挙の実施に際し低位カースト者の投票権を迫害から守る「分離選挙案」を〝民族分断主義〟と見なして、廃案に持ち込んだのです。
【プーナ協定 https://en.m.wikipedia.org/wiki/Poona_Pact

 日本を含む諸外国では、ガンディー翁がカースト制度を撤廃したかのように云われることがありますが、事実はまったく違います。独立後の憲法制定に際し「Justice, Liberty, Equality, Fraternity」を四本柱に、あらゆる差別を禁じたのは「不可触民」出身の初代法務大臣:アンベードカル博士です。

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 タゴール師の作『जन गण मन (ジャナ・ガナ・マナ。人々の意志)』がインドの国歌として採用されたのは、憲法発布(現在のインド共和国記念日)の二日前、1950年1月24日の憲法制定会議でした。この会議は、1947年8月29日、アンベードカル博士を初代議長として始められたものです。
 最後に、現代の仏教徒青年たちがガンディー翁もタゴール師も登場させずに作った動画『Jana Gana Mana』をご覧いただけたら幸いです。

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