2023.12.23 生活は繰り返す、キャベツの芯
いつものnoteの文章は、まずポメラに打ち込んで、それをスマホに転送して、スマホで開いたnoteのサイトにコピーしている。今、この文章は、初めてパソコンに直で打ち込んでいる。だからといって変わったことはないと、言い切ることはできない。この文章も、見た感じ、読んだ感じではいつものやり方で投稿していた文章と大差ないのかもしれないが、見えていない部分で、どこか違いが出ている可能性はある。小説だって、手書きするのと、パソコンで書くのと、スマホに打つのと、ポメラで書くのと、同じ人が書いたって、書く内容とかその他さまざまなことが違ってくるはずだ、と、わたしは思うんだけど、どうなのだろう。
今、手書きで書いてそのままの原稿を公募などに提出する人は、ほとんどいないのではないか。手書き原稿は不可、という賞もある。わたしは、パソコンを持っていなかったときには手書きした原稿を出したことがある。オレンジ文庫大賞に、100枚以上の原稿を出した。100枚以上手書きするのはすごく大変だったけど、パソコンがなかったので、それ以外に公募に出す方法がなかった。手書きの原稿を、ちゃんと読んでもらえるのかという不安もあった。結果、その作品は一次選考を通過した。ちゃんと読んでくれているんだ、と安心した。
今、わたしは主にポメラで小説を書いている。ポメラとはもう一心同体といった感じで、体ごとポメラとして文字を打ち込んでいるようなところもある。脳みそと繋がっている。ポメラを近くに置いておいて、なにか思いついたらぱっ、と書いたりもする。ポメラが側にないと落ち着かない。
今読んでいる、ツァラの『ムッシュー・アンチピリンの宣言』、トリスタン・ツァラはルーマニア生まれのフランスの詩人ということなので、この本は翻訳されていて、実際にはフランス語で書かれているのだろう。わたしは、翻訳されている日本語でこの作品を今読んでいるんだけど、それでも、漢字の並びで「かっこいい」と感じるのは、この感じている「かっこよさ」は、ツァラの意図しているところでは全然ないのかもしれないけど、漢字って、たくさん並ぶとかっこいい。と、思って今、本の読んだところまで見返して、漢字が並んでいる部分なんて、そんなになかった。「連発拳銃」に「レヴォルヴァー」とルビが振られている部分をかっこいいと思ったらしかった。
「おれは、自分がとても感じがいいと思うよ。」を最後の一文に置いている文章が繰り返されているのもいいと思った。繰り返しはいい。どんどん繰り返してほしい。ハウスミュージックが好きです。
明日はクリスマスイブで、あさってはクリスマスなのだけどわたしと子どもたちは実家に帰るから、今日クリスマスをやる。やると言っても、今買い物から帰ってきて、子どもらが欲しいと言ったおもちゃやスライムやお菓子を買って、自分にはスパークリングの酒を買って、普段と変わらない生活、それがなによりもいいことだと思う。どれだけ繰り返しても、体重が増えても減っても、どんな本を読んでも読まなくても、変わらない部分が、キャベツの芯みたいにある。