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本が読めなくなった

妊娠して出産して育児をしていたら、本が読めなくなった。

「本を読む時間がない」とかじゃなく、書面や文字を追っていられなくなってしまった。あんなに好きだったのにね。

妊娠中は貧血のせいか、文章や液晶に向き合うとくらくらしてしまい、産後しばらくは、たとえ子どもが寝ていても「いつ泣くかいつ泣くか」と常に脳天から両肩にかけてアンテナがビシビシ立っているようにそわそわしていた。だから落ち着いてなにかをする ということが本当になかった。子どもが起きているときは「子ども」。寝ている時に家事やなにかをしていても、身半分は「寝室の子ども」へ向けられていたように思う。

子どもが幼稚園に行き始めて、8時から14時のあいだが”自分の時間”になった。さあ、落ち着いて本を読もうじゃないか、と思ったら、あらまあどうして全然頭に入ってこない。あんなに好きだった森見登美彦も、遠藤周作も、江國香織も、必死になぞっても、目頭がぼんやりするだけ。穂村弘ならいけるかと思ったけどダメ。エッセイも面白そうな新作さえも、もちろんダメ。

妊娠中~産後で、それまで築き上げてきた自分の愉しみをリセットしてしまったみたいだった。文化的な活動はもちろん、人付き合いや仕事、体力や筋肉さえも。妊娠前は、そういう風にならないように気をつけよう~と思っていたんだけど無理、「目の前の子どもを生かさねば」だけがすべてで、あらがえなかった。キャパが狭いんですねーごめんなさい。

そしたらだんだん、物覚えが悪くなって、家の中での鍵紛失率が上がり、夫との会話も盛り上がらなくなり、言葉が出てこなくなってきた。これがきっといわゆる「マミーブレイン」だったんだろう…怖い。

でも本は読みたい。そこで最後の手段と思って、わたしは司馬遼太郎に助けを求めた。時代小説って昔から時々むしょうに読みたくなるよね。自分の生活とは全然違う時代で繰り広げられる物語。なぜか主人公を焦がれるように好きになっちゃうあの感じ。なんかやたらと主人公が、おなごと「なぜ今ここで?」というタイミングでねんごろになる謎展開。そこでまだ未着手だった『風神の門』を手に取ってみたら、まさに。読めた。上下巻…途切れ途切れで4か月かけたけど…ありがとう司馬遼太郎…LOVE.

妊娠前はずっと出版社に勤めていて、いそいそと広告営業をしたり、ママ向け雑誌の編集部にいたりした。なので一応、文章や文化的なもののそばにいた。そういえばネット創世記にはホームページとか作って恋愛日記を書いたりしていた(黒歴史)。思えばずーっと文章を書くのが好きだった。ここ4年間が異常…と後から気づいたパターン。

前置きが長くなりましたが、つまりはリハビリのために、日記をつけ始める。こだわらずに、つらつらだらだらと書きたいな。


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