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記憶の記録

水道筋・畑原市場の閉場まであと一ヶ月。畑原市場大感謝会がスタートして2週間、畑原市場のシャッターをメッセージで埋め尽くすプログラム「畑原メモリアルシャッター」の掲示も100枚を超えた。市場の思い出、感謝の気持ち、似顔絵まで多種多様なカードが集まってきた。

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ゴマキのサインもあった。AKBでも乃木坂でもなくモー娘。しかもゴマキってとこがいい。畑原市場のラストを飾るのにふさわしいではないか。おニャン子だったらさらにいい。永田ルリ子きてくれないかな。

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対面販売ならではの記憶。客と店主とのやりとりが聞こえてきそうだ。僕も市場でいろんなことを教わった。(でもほとんど忘れた)

ときおり市場の人たちも見に来てくれる。市場を訪れた人たちの思いや記憶が店主たちに届けばと思う。メッセージカードは市場への感謝でもあり、記憶の記録でもある。畑原市場が閉場する3月31日まで増え続ける。

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3月7日の「畑原市場大感謝会トークショー」のゲスト、橋本倫史さんは、2019年6月16日で営業を終えて、建て替え工事に入る沖縄の牧志第一公設市場の人々を取材して『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』という本を出された。「移り変わってしまったあとで懐かしむのではなく、そこにまだ市場があるうちに本を出版できたらと、急き立てられるように取材を重ねた」という。

実は2019年の6月13日、取り壊される前の牧志第一公設市場を見に行った。その時たまたま寄った「市場の古本屋ウララ」の店先に那覇のジュンク堂で、今から『市場界隈』の刊行記念トークショーがあるという告知が貼ってあった。「市場の景色を記録する」というテーマで橋本さんとウララの店主、宇田智子さんが話すという。これは行かねばなるまい。聞かねばなるまい。ウララで『市場界隈』を購入、ジュンク堂へと向かった。二人とも静かなトーンだったが印象的フレーズが次々と出てくる素敵なトークイベントだった。3月7日のトークイベントも楽しみだ。

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橋本さんは、沖縄好きが高じて取材対象に公設市場を選んだわけではなく「ちょっとした縁が重なって沖縄に足を運ぶようになって」公設市場が建て替えになると聞き「今の建物があるうちに記録しておくべきじゃないか」と思うに至って、本を作ったと。

市場は近くの仮設店舗で営業を続けるけれど、現在の風景は過去のものになってしまう。移り変わってしまったあとで懐かしむのではなく、そこにまだ市場があるうちに本を出版できたらと、急き立てられるように取材を重ねた。ここ数年、六月には毎年のように沖縄を訪れてきたけれど、今年の六月はこの本を手に市場界隈を歩くつもりでいる。こうして書き記された「今」が、いつかの未来、五年後、十年後、百年後の誰かに届くことを想像しながら。(橋本倫史『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』まえがき)

僕は橋本さんのように市場の店主に取材して本にする能力はないし、するつもりもなかった。でも、市場がなくなることに割とドライだった店主が、シャッターに貼られたメッセージを眺めながらぽつりぽつりと昔の話をしてくれるようになったのを見て、これは記録すべきではないかと思い始めた。

「これも時代の流れ」と言ってしまうことは簡単だけど、時代は流れても記憶は残る。戦争の記憶、災害の記憶、そして繁栄の記憶。それが地層のように重なった上に今の街がある。目の前の街は記憶の積層の上に浮かび上がった、はかない蜃気楼みたいなものだ。人々の暮らしの中で紡がれてきた街の記憶に耳を傾けると、街に暮らすことがより愛おしくなる。畑原市場の再整備(という名の街の消滅)も場所の記憶に耳をすませばこんな形にならなかったかもしれない。

畑原市場があるうちに、畑原市場大感謝会というお別れイベントを通じて市場での記憶を残し、それが記録される場になればと願う。そしてその記憶の記録が、市場の人々だけでなく、いつかの未来、五年後、十年後、百年後にこの街で暮らし、働く誰かに届けばいいなと。

そう思うと、少し気が楽になった。

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