リンボー洞門

帰ってきたnaddist(仮)

小学校のころに『冒険手帳』という本があった。火をおこしたり、野草を食べたり、自分の力で生き残る様々な方法が紹介され、子どもたちの冒険心を激しく掻き立てた名著でボロボロになるまで読んだ。そのプロローグには「自分で考え、自分で作り、自分で行動しよう」と書かれてあった。

自分の街を冒険するように楽しむ街の冒険手帳を作ろう。 

そんな思いから阪神淡路大震災から2年後の1997年8月に神戸市にある「灘区」という「普通」の町の日常を観察し冒険し「楽しむ」フリーペーパーを発行する。灘+ismの造語で灘主義を意味する「naddism」と名付けた。A4サイズで3つ折りモノクロ。1回に1テーマずつ小出しにして各号を集めると灘冒険手帳ができるという案配だ。創刊号は「ANARCHY in nada」と題して灘区の「穴」を集めた。灘の街には鉄道や幹線道路が東西に何本も走っている。南北の移動はこれらの交通路を越えないといけない。そのために作られたけもの道のような街の穴(具体的には鉄道のガードやトンネル、地下道など普段気にも止めない街のインフラ)を自然の洞窟に見立てて紹介した。

その中の一つに阪急電鉄をくぐる小さなガードがある。高さが1.5メートルしかないので大人は前かがみで通るという実に不便な通路だ。しかし考え方を考えてみよう。前かがみで通るのではなく後ろに反ってくぐればリンボーダンスができるではないか。ということでこのガードに「リンボー洞門」という名前をつけた。不便な通路が一気に楽しげなアトラクションになる。こんな調子で視点を変え、街を楽しむ方法を次々と見つけていった。

紙の印刷物の発行には限界があり、制作費もかかる。もっと、多くの人に伝えられないか、ということで1998年にメールマガジン「naddist」の配信を始めた。

1998年12月の創刊準備号にはこう書いた。

私達は昨年『naddism』という、神戸市にある「灘区」という 「普通」の町の日常を観察し冒険し「楽しむ」フリーペーパーを 発刊いたしました。
 『naddist』は、これを補完する言わば「カプセル怪獣」です。写真は使えませんが、灘の町にこだわったお楽しみ系ミニコラム、ミニレポート、ミニ実験、ミニ対決等「小ネタ」を「ガチャポン」的にお届けして参ります。
□「普通」の町の何処が楽しいんだ?
子供の頃、自分の住む町は宇宙に匹敵する存在でした。それが、大人になると何故か単なる通過する場所になってしまうのは何故でしょう。
(中略)
では、町を楽しむてっとり早い方法をお教えしましょう。
1、ガキの視線を思い出せ
子供は、町を楽しむプロです。
どんな町も彼等の手にかかれば、ディズニーランドになってしまいます。町を歩くとき、ガキの視線を思い出しましょう。何か見えてきませんか?
2、ここしかないと思え
もし、この世の中にあなたの住む町しかないと思ってください。
これは、死活問題です。サバイバルです。国連も来てくません。
「なんかないのか!うちの町は!」きっと、なんかあるはずです。

震災で街が失われて、灘区全体がアイデンティティ喪失状態だった。復興の過程でつねにどういう街にしていくかが問われた時期でもあった。そのためには元々どんな街だったかを考えることになる。それを「山と海に挟まれた潮風と歴史が香る街」みたいな、ざっくりとしたキャッチフレーズで語られることの居心地の悪さ。それに対するアンチな気分が「naddist」のテキストを書く衝動になった。

普通の街をじっくり観察する楽しさ。子どものころ街で遊び倒したときのようにいろんな角度で街を見ることの面白さ。そこから見えてくる風景の豊かさを伝えていく。しかし「ウチの街いいでしょう!」のような盲目的な街自慢ではなく少し自虐的にアピールする。あなたにとっていい街は僕にとっていい街とは限らない。あくまでも客観的な視点を意識して小さな灘ネタを積み重ねていった。

「naddist」は基本的に毎月3回配信した。フリーペーパー違ってテキストのみで表現しなければいけないのでディテールを語るために毎回テキスト量は増えていった。読者は灘区在住者だけではなかった。広く灘区に関わっている人という意味で読者のことを「クミン」と呼ぶことにした。区民ではなくクミン。かつて灘区に住んでいた人は元クミン、灘区で働いている人は勤クミン、灘区内の学校に通っている人は学びクミン、愛人が灘区内にいる人は愛人クミンといった具合だ。最初は街ネタを一方的に伝えるだけだったが、感想や情報が送られてくるようになった。「なだっちゅーの!」という読者コーナーや読者からの灘の疑問に答える「なンナンだ!?」という双方向コンテンツも増えていった。50人くらいだったクミン数は徐々に増え半年で500人を超えたいた。
やがてメルマガのネタはイベントに発展していく。1999年8月に初のツアー「灘の細道・特別企画 納涼 灘トンネルツアー」を開催、その後も立ち飲み屋をめぐる「灘パブオフ」などオフ会的なイベントや、灘ネタを期間限定の店にした「灘印良品」など街をフィールドにしたイベントが増えていった。

2005年には創刊200号を迎え、読者は1000人を超えていた。メルマガのタイトルから僕自身も「naddist」と呼ばれるようになっていた。
記憶の中の街を楽しむこと、身近な日常の街を楽しむこと。「記憶にパイルドライバー。視点に延髄切り」というスタイルで続けてきた「naddist」はいつの間にか「記憶の中の街」に偏り始めていた。次第にノスタルジックなテキストや感想が多くなってきたことに疑問を感じ始めていた。そしていつの間にか結局発行者である「私」が「naddist」を楽しめなくなっていた。

今年創刊から20年経った。

相変わらず灘の街は日々移り変わっていく。それを止めることはできないし、かといって諦めることもせず「今」の灘の街を記録すること。noteを使ってもう一度始めてみようと思う。

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