”努力する”とは何か

受験は孤独と言う。
事実上は周りとの戦いだが、本質的には自分との闘い。

XX中学、○○高校、△△大学に合格したい。合格する。
友達や家族、先生。色んな人と話したり、本読んだり、オープンキャンパス行ったりして、決断した。

なのに、平気でSNSをダラダラ見てしまう。
朝の電車で勉強すると決めたのに。
なのに、疲れたからベッドの上で勉強して、そのまま寝てしまう。
今日はこれだけやると決めたのに。
なのに、自分に甘えて目標点数を下げてしまう。
今回の模試はこれだけ取るって決めたのに。
なのに、なのに、なのに、、

自分が決めたことが全くできない。
その結果、当たり前のように成績が下がる。
ライバルだと思っていた友達に、差をつけられてしまう。
勉強したかどうかは、テスト結果と、自分の胸に手を当てればすぐに分かる。

自分のことが嫌いになる。自分に自信を持てなくなる。
未来への希望を失う。落ちるかもと考えることが怖くなる。
親に申し訳なくなる。友達に対して引け目を感じる。

でも、気合入れて、今回こそはと思って、ちょっと普段より頑張ってみる。
いつも友達と一緒に帰ってた電車で、みんな自習するようになる。
帰宅してから30分はゴロゴロしてたけど、15分にしてみる。
いつも22時に勉強終えてたけど、ちょっと22時半までやってみる。

そんなことが続いて、テストで良い結果が出ればまた自己肯定感が上がる。
自分に自信も芽生えてくる。未来への希望も見えてくる。


でもまたさぼって、、でもまた踏ん張って、、


受験って、こんな感じ。
というより、受験に限らず。
仕事も、恋愛も、友達関係も、趣味も。
人生全部こんな感じ。生きていくってこんな感じ。
しんどい。疲れる。


やり切れなかった過去を、綺麗ごとに変換することはできない。
結果が出なかった事実を、正当化することはできない。

常に結果と自分と隣り合わせになりながら、
認めたくない自分も、過去も、事実も、
丸ごと認めて、一瞬一瞬生きていかないといけない。


「努力する」「頑張る」という言葉があふれているが
どういう状態なら「努力した」のか、難しい。

これまでの人生を生きてきた中での、暫定の解は
「自分で決めること。決めたことをやり切ること。」
かなと。

まず、決める。なんでもいい。
将来的な目標でも、今日一日やることでも、ダイエットするとかでも。
で、自分が決めたことに対して、言い訳せずにやり切る。

でも絶対、できないときもある。やりきれない日もある。
そんなときも、そんな自分を認める。できなかったことを認める。
隠そうとしない。忘れようとしない。そこに向き合う。

向き合って、また次の日から決める。決めたことをやり切る。
努力するって、そんな1日を積み重ねることだと思う。


(文責:ポエマー侍)


え、ホント!いいの?ダイスキ!