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手放して得たもの、それは使命だった



ー私は一体何のために生きているんだろう。



誰かによって”生かされている”という感覚を得つつも、この世に生まれてきた意味を見出せずにいた。
そんな漠然とした思いを抱えなが日々過ごしていた私は、最愛の彼との別れをきっかけに、自分がこの世ですべきこと、できることを必死で探した。
約2年もの間、”私にとって彼がすべて”という想いで生きていた私は生きる意味も目的も、完全に失っていた。

ー誰のために生きよう。
 何のために生きよう。

自分にとっての使命とは何か。

とにかく、生きる意味が必要だった。
そうでないと自分を保てない気がしていたから。




結果、子供達のために生きることを選択した。
これは以前のブログでも綴っているが、単純に子供が好きという理由と、環境問題に関心のある私が将来を考えたとき、これからの次世代を担っていく子供たちの力が重要になると考えたから。


そして、幼少期から興味のあった教育業界に足を踏み入れた。

その後、仕事をしながらオンラインでコーチングを受けていた私は、それによってみるみると自分、そして周りの状況が変化してゆくのを感じた。
当初、一番の悩みであった体の不調。
体調面が良くなるだけでなく、自分の内側、心の部分にも大きな変化を感じていた。

自分をありのままに受け入れ、肯定できるようになっていったことで、生まれて初めて自分のことを好きだと思えた。
約30年もの間、大嫌いな自分を鏡で見るのもつらかった状態から、鏡の中の自分へ笑顔を向けられるほど、自分自身に対して愛を向けられるようになっていた。そして徐々に、それまでずっと蔑ろにしてきた自分を、大切にできるようになっていった。



自分を愛する”感覚が腑に落ちた瞬間だった。



ここまでくるのに、たくさん遠回りをした。

人生は山あり谷あり、なんていうけれど、実際は谷しかない。
苦しみやつらさばかりだと信じていた人生が180度、劇的に変わった。
正確には人生そのものではなく、私のこころの在り方が変わった結果、私の人生に対する見方が変わっていたのだった。

自分が思っていた以上にこの世界は美しい。
そして人生は素晴らしく、愉しいものだと。

いつしかそう思えるようになっていた。




すべての経験が今の私へと導いてくれた。



それまで出逢ったすべての人、モノ、コトへの感謝が心から溢れ出た。
文字通り、すべての経験に。




こうして、コーチングで学び得たものを実生活に活かしながらどんどん人生を好転させていく中、
”Have to〜しなければいけない”の意識をとにかく手放していった。自分にとって心地よくないもの、コト、そして人間関係。様々なことをそぎ落としてシンプルにしていくことで徐々に、自分と一致する感覚が芽生えていった。
仕事も好きなことしかしないと決め、自分がやっていて心地よいもの、ワクワクするもの、情熱を注げるものだけに集中させた。
当時はアルバイトでバリスタと塾講師、二足のわらじを履いて生活していた。
今までにないほどの充実感を覚え、日々、感謝と愛に溢れていた。
そんな毎日が愛おしかった。


世間的には、30歳を越えて正規雇用ではなくアルバイトで生活をすることはいわゆる”一般的”ではないかもしれない。
それも、私にはもはやどうでもよかった。
30歳手前まであんなに気にしていた結婚、出産もいつしか頭から消え、世間体もすべて、気にならなくなっていた。
正規雇用でどんなに安定した収入、高収入を得ていた時よりも、たとえ低収入だとしても自分が本当に好きなことだけ、情熱を注げることだけに集中して働ける今が何よりもししあわせだと、心の底から感じていた。


そのような毎日を送っていると、なぜか嬉しい偶然や出来事も度重なり起こるようになった。小さなことから大きなことまで、自分のやりたかったことや夢がスルスルと叶っていった。
それらを叶えてくれる人にも、出逢うようになった。
不思議で仕方がなかった。

これを”セレンディピティ”といったりもする。

セレンディピティとは、「思いもよらなかった偶然がもたらす幸運」。 または、「幸運な偶然を引き寄せる能力」という意味で使われることも。

自分の中の何かが引き寄せているんだな・・・
そんな感覚があった。

自分で自分を満たしている感覚が、本当に心地よくって。
出逢う人出逢う人にまた感謝が生まれる。
自分にとって嬉しく、心地よい循環が毎日のように続いていた。


そして、新たな恋にも出くわした。
思いがけない出逢いのうちのひとつ。
それが後に新たな愛に発展していくことを、当時の私はこれっぽっちも予想だにしていない。
最愛の彼との別れの後、私はすでに自分一人で充分に満たされていて、”誰か”を必要としていなかったから。

そんな新しい彼との出逢いも偶然のようで必然だったと思えるようになったのも、彼との別れの後。
詳細は今ここでは重要ではないので綴らないでおく。
彼とは約一年ほどの付き合いを経て終止符を打つことになるが、その間で学びとなること、気づきが多くあった。


前回の大恋愛、大失恋からコーチングを経て変化していた私は恋愛に対する考え方も価値観も、そのとき大きく変化していた。
もちろん嬉しさや喜びだけでなく、怒りや悲しみ、つらいこともあった。
それでも、自分と相手とを切り離して物事を考えることができるようになっていた。
一度愛すると愛情深くとめどなく愛してしまい、他人(彼)軸で生きてしまっていた以前の私が、もうそこにはいなかった。


ーこれは私の問題で、私にできることはこれ。ここからは彼の問題で、彼自身が向き合わなければいけない。だから彼が必要とするならば快く彼に時間と空間を与えよう。その間、自分は自分にできることに集中して、自分の人生を生きよう。そして彼が私を必要としてきたら、どんな時もあたたかく受け入れよう。

そんな姿勢でいられた。


私自身も、コーチングを通して自分の過去やトラウマと向き合うことで過去のネガティブな経験をプラスに書き換え、そして学びへと変えてきた。そのつらさも重々知っていたけれど、その先には必ず明るい未来があることを知っていたからこそ、彼にも踏ん張って欲しかった。たとえそれがどんなにつらいことだったとしても、一生は続かないから。

誰にだって、過去はある。目を背けたい事実や蓋をしてしまいたい経験がある。でもそれをちゃんと自分自身が見てあげることで自分が癒されることを、彼にも経験して欲しかった。彼自身のために。そしてお互いの将来のために。

そんな思いを抱きながら彼を尊重しつつ、お互いの自立を一番に考えていた。
自分を俯瞰したり、客観的な意見を求めて信頼する知人に相談をしたり。
愛情は去ることながら、冷静に物事を見れる自分がそこにいた。

とはいえ、いつだって別れはつらいものだ。
彼との最後は喜ばしいものではなかったが、お互いの人生を考えたとき、一緒にいることが最善ではないと感じた上での最善の決断だった。

そんな彼との関係を振り返ってみると、最後の別れ以上につらいこと、乗り越えなければいけないことがその途中でいくつかあった。



自分の直感を信じること。
受け入れ、ゆるすこと。
そして、手放すこと。


自分の心で感じた違和感ほど正確なものはなくて、”自分にとっての”最善はいつだって必ず自分の心が知っている。
だからこそ、いつも自分の心に耳を傾ける必要がある。
そうでないと他人の声や外側の情報に埋もれてしまって、自分の心の声が聞こえなくなってしまうから。自分でも気付かないうちに。

外側の世界に支配されないように、
内側に集中する。



当時、彼との関係性の中で私は時折、心の中で違和感を感じることがあった。
が、それにもかかわらず、私はそれを無視していた。
見ないふりをして、しあわせに浸っていたかったのかもしれない。
だが、小さな違和感も積もりに積もれば、大きくなる。
後にそれが彼への不信感へと変わり、私の違和感が当たっていたことが発覚し、それも彼との別れの原因になっていった。

自分の心の違和感は、決して無視してはいけない。嫌でも向き合わなければいけないことを、このとき胸に刻んだ。


受け入れ、ゆるすこと。

実はその彼とは、最後の別れの前にも一度離れた期間があり、その時が私にとって一番つらかった。二人の将来の話もしていたし、彼との終わりを想像しておらず、ハッピーエンドがあると信じていたから。
おそらくその時が、彼に対する愛情のピークでもあった。


でも当時の私は、悲しむどころか、事実を受け入れることさえできずにいた。
受け入れた瞬間にすべてが終わってしまうような気がして。
もう終わっているのにもかかわらず。


”恐れ”


この感情が私を支配していた。
つらくても泣くことができず、ただじっと堪えていた。


そのような状態が数日続いたある日、ふと心が何かを感じとった。
それはいつもの内側から湧き出てくる感覚や心の声ではなく、どこからか降りてきたような感覚だった。うまく言えないがメッセージのような。目に見えないあたたかさのようなものを受け取った感覚だった。


ー何があっても、大丈夫。
 あなたは守られているよ。

私にはこう伝わった。
そしてそのとき、決意した。


ー全部、受け入れよう。


その日の仕事帰り、よく行っていた海辺へ行き、悲しむことを自分に許可した。恐れの感情と向き合うことを。

自分の感情に許可だなんて、不思議に思われるかもしれない。
でもその時の私は、わざわざ自分への決意をしないと感情のストッパーが外せなかった。
心に決めて、泣くことを自分に許可した。


ーつらかったら、泣いていい。


気付くと、声を出して泣いていた。
どのくらい、そこにいたのだろう。


ー今まで蓋をしていてごめん。
 つらかったよね、悲しかったよね。


そんな言葉を心に思い、自分自身へかけた。
涙が枯れるまで泣き尽くした後は、心も足取りも一気に軽くなっていた。
それまで蓋をしていた感情をすべて出しきったことでやっと、自分を苦しめていたものから解放された。


つらいのは起きた事象のせいではなく、それに対するつらさや悲しみに蓋をし、受け入れないから。感情をあるがままに感じず、抗えば抗うほどつらくなる事実に気付いた。
自分を苦しめていたのは、自分だった。


どんな感情も受け入れる。
そして感情から、気付きを得る。
怒りや悲しみ、自分にとって望ましくない感情も、その裏にある大切な想いに気付くためにある。感情に良いも悪いも、ポジティブもネガティブもない。
そしてそれに気付けたら、ありがたく手放す。

自分の人生にとって大切なものが見えたと同時に、
不要なものも明確になった。
すべて、手放した。


ーもう、大丈夫。
 この先は良い方向にしか進まない。
 明るい未来しかない。


そう強く心で感じ、スッキリと心が洗われた。
そして徐々に、自分の内側、心が満たされていく感覚を覚えた始めたとき、確信した。



私が愛そのものなんだ。



私自身が愛の存在であり、自分を癒し、満たせる。
自分を癒し、満たせる愛はいつも自分の中にある。
そしていつだってこの愛を生み出せる。
だから、大丈夫。


”愛の自給自足”


これができるようになった今、
もう恐れるものは何もない。

だから何も心配することはない。
どんなことが起きようとも、絶対に大丈夫。



根拠のない自信に満ち溢れた自分へと変わった。





自分で自分を癒す。
自分で自分を満たすのと同じくらい大切なこと。

”自分に対して共感できなければ、他人にも共感できない”

これが今回の経験を通して学んだこと。




自分を大切にできなければ、誰のことも大切にできない。
自分を愛せなければ、本当の意味で誰かを愛することはできない。


すべては、自分の内側から始まる。
自分の中の愛と調和が何よりも大切。


自分に対する愛が育まれ、それが確立されたとき、はじめて人は自分で自分を癒し、満たすことができる。
何が起こっても大丈夫だと、確かな自信を持ってまた前を向いて歩んでいける。







ー自分という存在は一体何なのか?
 自分の使命とは?


その答えを見つけようと必死になっても、
答えは外側にない。
いつだって自分の内側にある。
自分の心が知っている。

そしてそれは、自分の心に正直になれたときに初めて見えてくる。





自分と一致するために不要なものを手放す。

私がそうして得たものは、
自分という存在が愛であるという気付き。

そしてこれまでのすべての経験を通して学んだことを活かして、愛を広げていく必要がある。

これが自分の使命だと。



愛に溢れた人が増えれば、この世はもっと平和になる。
この世界が愛で溢れるように。
そして平和へと繋がるように。




振り返ると、私の人生で最も大切なものはずっと”愛”だった。
でもそれは誰かに与える愛ばかり。
常に自分の外側にしか目を向けられていなかった。
そんな私がコーチングを通して自分の内側と向き合い、こころの在り方を変えたことで自分の人生を大きく変えることができた。
そして気付いた最も大切なこと、
それを伝えていきたい。


”セルフラブ=自分を愛すること”

愛の自給自足ができる人を世の中に一人でも多く、増やしたい。






”この世の最大のエネルギーは愛”


アインシュタインがかつて、最愛の娘へ宛てた手紙の中に遺した言葉のように。


愛は世界を変える。
私は本気でそう信じている。





だからまずは自分から。
自分の内側から。



そして私自身が経験したように、つらい状況にいる誰かを助けたい。
助けを必要としている誰かをサポートしたい。
私がこれまでの経験を通じて得た気付きや学び、すべてを共有し、その人自身が心から望む人生を歩んでいくサポーをしたい。


そして辿り着いたのが、
セルフラブを軸にしたコーチング。



誰かを愛したいのであれば、まず自分を愛すること。
誰かを大切にしたいのであれば、まず自分を大切にすること。

幸福の土台となる心身の健康のためにも。

自分を愛することは、
この世のすべてのことの根底にある、
何よりも大切なもの。




おかげさまで私は、ホリスティック栄養学との出逢い、それを教えてくれるコーチとの出逢いによってセルフケアを学び、心身の健康を手にした。
外側を整えて日々イキイキと過ごせる体になっただけでなく、同時に内側も、こころの在り方や自分自身に対する見方を変えることで、家族との関わり方やパートナーシップ、様々な対人関係における考えも、自分にとって望ましい方へと変えてきた。


そして何よりも、約30年間、大嫌いだった自分自身を愛せるようになった。
これが一番の喜びであり、人生における最大の豊かさだと思っている。
なぜならそれによって、約30年間、生きづらさを抱えていた人生から抜け出せたから。
自分の心に正直に生き、日々愛と感謝に溢れる人生を送れるようになったから。
そしていまもなお、自分の望む人生を創造し続けている。







この世でたった一人の大切な自分。
自分自身が誰よりも自分を大切に。
誰もが自分の本当の人生を歩めますように。


この世のすべての人の心が
愛と調和で満たされますように。



With love and gratitude





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