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第185号 「受け入れるから受け流すへ!」

ここ最近、自分を許し受け入れる事を優先して生きてきました。
私はどちらかというと、何々するべきという傾向が強いのです。
自分がするべき事をしたら、人も同じようにするべきだと要求しがちな人間です。
電車の中でお年寄りが目の前に立っているのに、ふんぞり返って座っている若者を見たら腹立たしくなります。病院の受付で、人の顔も見ないで事務的に手順を説明する事務員にむかつきます。路地裏から一時停止もしないで、飛び出してくる自転車に腹が立ちます。
外にちょっと出ただけで、不愉快な出来事の嵐に巻き込まれます。
 そこで、そういう出来事に出会っても不愉快にならない方法として受け入れてきたのです。
自分がするべき事をしたからといって、周りに自分の正しさを押しつけない方法としてです。
私も、やるべき事をやらない事があります。そんな時、やらない自分を責めてしまいます。
これが回り回って、周りの思い通りにならない事に腹立たしくなるのです。
そこで先ず、やらない自分や腹を立てている自分を許し受け入れる事を優先してきたのです。
 やらない自分や腹を立てている自分を許す事を繰り返している内に分かった事があります。
イヤな事に出会って腹が立っても自分の感情を一つ一つ上手に許し受け入れるようになれば、
イヤな事が起きようが起きまいがどちらでも良い感じになります。
問題は起きた出来事にあるのではなく、自分の感情の在り方にあるという事です。
そして、その過程で分かった事は、腹を立てた自分を責める事が一番いけないようです。
自分を責めるとやる気のエネルギー源が枯れて諦めてしまいますからね。
 思い通りにならない事を静かに受け入れる自由な人間でありたいと願っている自分が、人の
態度に一々むかついていたら割に合わない事に気付きました。一瞬、ムカッとしてもそれは仕
方がない事として自分を責めない。むかつかされた相手を許すのではなく、
むかついた自分を許すのです。そうすると、むかつきが弱まっていくから不思議です。
人それぞれに正しさ未熟さがあり、それに対して自分の正しさを主張しても意味は無いのです。
むしろ、トラブルを大きくしてしまうだけですから、静かに受け流すのが一番いいのです。
それぞれの正しさに正誤はなく、学びの体験があるだけですから、受け流すのがいいのです。
 理不尽な人生ですから、この先、イヤな事が無くなる事はないのです。今、自分にとって大
事な事が満たされていたら、その他の事は大目に見て全ての願いが満たされる事を幸せの条件にしない。そう覚悟すると、イヤな事を静かに受け流せるのです。

平成27年 6月