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【読書コラム】愛し愛され、憎み憎まれ、いろいろあって日本人は犬と一緒に生きてきた - 『犬の日本史: 人間とともに歩んだ一万年の物語』谷口研語

 最近、ずっと人間と動物の関係について考えている。

 もともとは日本の社会福祉のあり方を調べていて、その起源が徳川綱吉の生類憐れみの令にあるというところから好奇心が湧き始めた。で、手当たり次第に本を読んでいる。

 その記録はこれまでnoteにもまとめてきた。

 どちらも動物を愛した有名人にフォーカスし、一般的に広まっている誤解を解いていくことを目指すという内容だったので、その慈愛の心はなぜ生まれたのか、知らないことがたくさんわかって面白かった。

 すると、段々、反対側の視点も気になってきた。つまり、人間ではなく動物サイドの歴史を学びたくなった。

 ただ、そういう角度から資料を探してみるも、しっくりくるものがあまり見つからない。

 というのも、歴史というのは人間が紡いできたものらしく、基本、偉人か社会制度か事件か芸術か、人間が作り出したものを軸に語られるケースが多いのだ。

 そんな中、ようやく求めていたタイトルが!

 どんぴしゃで『犬の日本史』である。こういうものが読みたかったんだよと思いながら購入し、早速、一気に読んでしまった。

 神奈川県の夏島貝塚で発見された犬の骨から犬の日本史はスタートする。狩猟のパートナーとして、人間たちの生活に入り込み、稲作が始まると防犯の役割を担当し、食事や安全な生活を確保してもらう代わりに忠誠を誓ったんだとか。

 ところが弥生時代になると犬を食べる人が現れたらしい。恐らく、渡来人の文化なんじゃないかと言われている。一方、『日本書紀』や『古事記』によれば犬は神聖なものとされているようで、様々な文献から白い犬がたびたび登場する。理由は白い犬が狩りで活躍したから。でも、毛の色で狩りのうまさが変わるわけではなく、単に狩人が獲物と味方を見分けるにあたって、白がわかりやすかったということみたい。

 その後、貴族文化ができあがると可愛がる対象になったようで、清少納言なんかは『枕草子』で「翁丸」と名付けられた犬の話を書いている。対して、紫式部は猫の話を書くことが多く、現代と同様、犬派と猫派があったのかも。

 ただ、平安京が大きな都市となり、たくさんの人が住み始めると状況は変わっていく。いまみたいに下水道が完備されているはずはないので、排泄物を一箇所にまとめていたようなのだが、植えた犬がそれらを食べていたというのだ。そうなると不衛生な存在となり、穢れを嫌った貴族たちは敏感に反応した。

 寺社や宮殿、貴族の邸宅には「犬防ぎ」と呼ばれる衝立が設けられ、犬を神聖な領域から追い出しにかかった。それでも入ってくる犬はいるので、官僚たちの仕事として「犬狩り」という犬を追っ払う行事も行われるようになったそうだ。

 犬の立場が悪くなる中、武家社会が到来する。中世の武士は野蛮で有名。加えて、犬と院の音が似ていることから、朝廷に歯向かう意志を込めて犬に向かって矢を射ったりした。それは犬追物という行儀へ発展、馬に乗って逃げ惑う犬を弓矢で仕留めるというのが文化になった。

 戦国時代になると南蛮貿易で洋犬が入ってきたことで、雰囲気が変わってくる。マスチーフやウォーター・スパニエル、グレーハウンドといったいまでも人気な猟犬がどんどん日本にやってくる。大名たちは洋犬を持つことで自らのステータスを示すだけでなく、流行りの鷹狩りに活用するなど、犬と親しくなっていく。

 だが、江戸時代に入り、再び都市が広がり、人口が増大することで平安時代と同様の問題が発生する。人間の生活に入り込んだ犬は排泄物を食べたり、老人や子どもを襲ったり、嫌われものになっていく。そして、それを懲らしめようと暴力を振るわれた結果、野犬の死体が病気を媒介するようになっていく。

 これを問題視したのが徳川綱吉で、犬を救うことを皮切りに、あらゆる弱者を救う意図で様々な法令を出していく。これらをまとめた通称が生類憐れみの令なのだが、社会保障制度を整えることから統治構造を作り直したかったらしい。そのため、武士たちの反発を招き、お犬様と揶揄されたように綱吉の狙った通りにことは進まなかった。

 幕末の犬については日本を訪れた欧米人が記録を残している。その多くで日本は人だけでなく、犬まで外国人に敵対的な態度をとってくると書かれているそうで、どこまで本当なのかわからないけれど、なんだか興味深い。

 明治維新が起こると日本人は外国人を歓迎した。そして、外国人から日本の在来犬は質が悪いと聞かされた。そして、他のもの同様、外国の犬の方が素晴らしいということでどんどん洋犬が輸入され、在来犬は意識的に殺されていった。

 そのことを嘆いて、柳田國男は「カメとチンコロばかり」になったと記しているとか。「カメ」とは洋犬と在来犬の雑種、チンコロとは小さい犬をそれぞれ意味している。

 当時、洋犬は「カメ」と呼ばれていた。イギリス人やアメリカ人が犬に"Come here!"と呼びかけているのを聞いて、「カメ」という名前なんだと誤解したことがきっかけらしい。

 さて、そんな流れも昭和に入り、ナショナリズムが高まってくると逆転する。日本の犬を保存しようという動きが盛り上がる。ここから現在でもポピュラーな柴犬や秋田犬、土佐犬などの犬種の数が増えていく。そこには思想的・文化的背景が大きく影響していたのだ。すなわち、日本犬という概念は「純粋な日本人」という概念同様、恣意性をたぶんに含んでいるということを忘れてはいけない。

 戦争中、忠犬のエピソードは愛国思想や戦意高揚に利用された。軍事利用もされた。飼われていた犬が徴兵もされたようで、バイザイの声を背に大陸へと送られた。10万匹ほど狩り出されたのではないかという試算もあるようで、その数は相当だ。なお、敗戦の際には置き去りにされてしまった。

 こんな風に犬の視点で日本の歴史を振り返ったみると、これまで見えていなかった景色が見えてくるので面白かった。てっきり、日本人と犬はずっと仲良くやってきたような気がしていたけれど、時代によって愛し愛され、憎み憎まれ、いろいろあったんだなぁとよくわかる。

 我々は人間だから、つい、人間の立場から物事を考えてしまいがちだけど、こと動物については動物の立場というものに想像を巡らせていかなくてはいけないと改めて思った。なにせ、動物は言葉が喋れないわけで、声を上げられないということはしっかり配慮していく必要があるだろう。

 今回、わたしはこの本を社会福祉について考える中で出会ったのだが、これまで可視化されてこなかった立場から歴史を組み立て直すという取り組みの有効性に希望を感じた。

 これはなにも犬だけでなく、他の動物でも言えるだろうし、あるいは人間同士でもマイノリティの視点から歴史を振り返ったみることで、当たり前と信じている常識の問題点が浮き彫りになってくるかもしれない。

 それは大変だし、面倒だし、時間もかかることではあるけれど、分断の進む社会をどうにかしていく上で、わたしたちにできる地道な努力のひとつなのではなかろうか。

 こういう読書は今後もしっかり続けていきたい。




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