したいことの本質はなんぞや?

どうも、もつなべです。

前回の投稿に引き続き、どうして

自分のしたいことは正義とは限らない

のか。

これは自分のありたい姿を否定するんじゃないんです。
逆に自分のありたい姿に近づくためといえます。

前回の投稿で、僕がデザインしたいと思ったきっかけは、
小学校、工作時間につくったものを親にあげてすごく喜んでくれた。
それが何よりも快感だったから。
だから何かモノをデザインする仕事をしたい。


てことです。本質は


「自分以外の誰かが、大事な人が幸せな気持ちになってくれる。」


事でした。


なんや、そんなことか。
深い言葉言うと思ったら、そんな単純なことかい。



そう思うでしょう。実際に今これをかいている僕でさえも思います。
そんなん当たり前。デザインとアートが決定的に違うのは、
第三者、ユーザーがいること。


でも大学でデザインを学ぶにつれて、そういうことを忘れてたのよ。

毎日目まぐるしい課題をこなし、どうやったらいい評価を貰えるのか。
自分のポートフォリオ充実のために、作品をつくろう。
そんなことを思いながら毎日過ごしてた学生時代は、ホントにデザイン
に向き合っていたのでしょうか。


そうやって深く考えてこなかったから、漠然と

デザインをしたいな。モノをデザインする人になりたいな。

という気持ちに、悪い意味で純粋だったんです。


自分のしたいことにあまりに純粋すぎて、
本質が何かを考えず、
自分で視野を狭くしてたんですね。


自分以外の第三者が、喜んでくれる。これを成し遂げることが自分の軸とするなら、別に極論デザインじゃなくてもいいんですよ。
でも僕はプロダクトデザインしかないと思っていた。


そんなとき、就活の面接でこんな質問をされました。

「君はどうしてプロダクトデザイナーになりたいの?」
「デザイナーとして何をしたいの?」

原点にして頂点。盲点でした。
自分のしたいことが正義で、その本質を見ようとしなかったんです。


長くつらつらと書きました。結局何が言いたかったというと、

自分のしたいことを正義と信じ込み過ぎると、本質が見えづらくなる

ということでしょうか。


飽くまで私の意見です。全員がそうではありません。
でも今一度自分を見つめ直すことは必要です。


その結果でた答えが、私の就活の結果です。
空間スペースのデザインは自分が恋焦がれたプロダクトデザイナーよりも
自分の本質に近いと判断したんです。


これが正解がどうか分かりません。
ですがこれからの私次第で正解にも、不正解にもできる。

社会という渦にもまれながら、証明して見せます。

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