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ウパーシカー仏教の誕生 在家女性信者のこれから

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【書評】天野和公『ブッダの娘たちへ: 幸せを呼びさます「気づき」の仏教』春秋社

寺づくりから信仰そのものへ

「一緒に、お寺をつくらない?」
それがプロポーズの言葉でした。

ラブコメ漫画のような書き出しに驚いた前作『みんなの寺のつくり方 ~檀家ゼロからでもお寺ができた!~』(雷鳥社)からはや一年。仙台の単立寺院「みんなの寺」で坊守(寺嫁)を務める天野和公の新刊が出た。 

一般家庭に育った天野は、浄土真宗本願寺派の僧侶だった夫と「運命的な」出会いをし、二人三脚で新しい寺院「みんなの寺」を立ち上げ、いまは三人の子供の母として奮闘する30代女性である。 

これまで「寺づくり」の顛末を二冊の書籍にまとめてきた天野が、そのお寺で語られるべき「仏教」に正面から取り組んだのが本作。ミャンマーで出版されたターマネジョー師の法話集『ブッダの娘たちへ』に触発された《仏教が説く、時代や国を超えた普遍的な「在家女性の幸せな生き方」》を描く随筆集である。なぜミャンマーなのか、という疑問は措いて、内容を見てみよう。

「私のような日本人女性にも参考になる「女性のためのアドバイス」を経典や註釈書、ほかのミャンマーのサヤドーたちのお言葉からもっともっと集めて共有できたら。
 明日から、いえ、今日からの暮らしにすぐに役立てることができたら。そう思いました。」(まえがき)

本編の各章は、結婚、出産、子育て、夫婦の絆など、主に女性が人生で直面するテーマに沿って、①仏典のエピソードや法話の紹介、②テーマに関連する自身の経験や思索、③「怒りの不利益7つ」「慈しみの利益11項目」「4種類の夫婦の組み合わせ」「お掃除の7つの利益」など数字(法数)でまとめた仏教教義、という要素を組み合わせて語られる。ブッダの教えはリスト化すると、とっさの時に思い出しやすい。随所にこの工夫を組み込んだことで、本書は「暮らしにすぐに役立」つ実用性の高い仏教入門に仕上がった。

巻頭の「死について知りえない5つのこと」では、「死」という普遍的なテーマを扱う。幼少期に著者が直面した死をめぐる父との対話、タイトルにある5項目の教え、パーリ仏典の物語とミャンマー僧侶による法話、そして再び幼い娘と著者との「死」をめぐる対話。親子の絆をめぐる自伝的なエピソードと、仏教の峻厳な真理の語りとが交錯する構成は見事で、仏教エッセイのお手本として推したい。

第一章「怒らない、と決める」から始まる本編は、必ずしもテーマ別に整理されているわけではない。しかし、怒らない・嫉妬しない・言葉の使い方に気をつける、といった日常的な幸福論を導入に、後半では戒の実践・ヴィパッサナー瞑想(付録でマハーシ方式の瞑想法がレクチャーされる)という出世間の幸福論まで読者を導いていく。この「次第説法」的手法もテーラワーダの説法の定石だ。

テーラワーダと日本仏教

著者は八年前、ミャンマーのマハーシ瞑想道場で一時出家し、ヴィパッサナー瞑想修行に取り組んだ。以来、本格的なテーラワーダ仏教の研鑽を続けてきた。日本人比丘のウ・コーサッラ西澤を師とし、ミャンマー語をほぼ独学で学び、現地の仏教書を読みこなすまでに成長した。『考えない練習』(小学館)はじめベストセラーを連発した小池龍之介、『仏教心理学キーワード事典』(春秋社)の中心執筆者の一人である井上ウィマラなど、テーラワーダ仏教の教えを自らの核とする日本人仏教者も現れているが、著者はとりわけ筋金の入った一人だろう。

著者が坊守をつとめる「みんなの寺」は既存宗派に属さない単立寺院だが、そもそも浄土真宗本願寺派の布教所になるはずだった。詳しくは『みんなの寺の作り方』に譲るが、宗派組織から新規参入を認められなかったことで、天野夫妻は浄土真宗の看板を掲げることを断念した。その逆境は、むしろ二人が宗派の枠に囚われないお寺づくりを試みる後押しになった。みんなの寺は仙台の市民たちに支えられながら、葬送儀礼を中心に伝統仏教寺院の機能を果たしている。しかし、その核となる「教え」は、天野がミャンマー語仏典などを通じて学んだテーラワーダ仏教なのだ。

著者には出自である浄土真宗とテーラワーダを「つじつまあわせ」しようという意識はなさそうだ。この割り切りは、「(テーラワーダ仏教が伝承する)釈迦牟尼の教え」と「大乗仏教諸宗派の教え」を会通させ、価値対立を生まないよう腐心してきた他の仏教者の言説に比べると、大胆で新しいと思う。

親鸞聖人の七百五十回大遠忌にあたる二〇一二年、山口県の二つの本願寺派寺院が宗派を離脱した。一つは先の小池龍之介が住職を務める正現寺。もう一つは『ブッダの実践心理学』(サンガ。A・スマナサーラとの共著)シリーズなどで知られる藤本晃が住職の誓教寺。両者のスタンスは異なるが、浄土真宗寺院の後継者が、テーラワーダ仏教との出会いを契機に宗派離脱にまで至った経緯は同じ。当初から単立寺院だった「みんなの寺」と比較できないが、天野の歩みも、後付ければテーラワーダ仏教東漸が日本仏教とりわけ浄土真宗にもたらした変容の一例と言えるだろう。

日本仏教における女性

また、この流れは、日本仏教における「女性」という問題にもつながってゆく。日本仏教の近代化の本質は何か? 端的にいえば、それは僧侶の妻帯・寺院の世襲を受け入れ、既存宗派すべてを「浄土真宗化」することだった。現在では、僧侶のほとんどが妻帯して家庭を築き、坊守・寺嫁といった女性の参画なしに寺院経営も成り立たなくなっている。女性の存在が不可欠になっている日本のお寺の実情と、独身男性で運営される出家仏教の建前を崩せない宗門教学との乖離は引き返せない地点まで達して久しい。

そんな日本仏教の「近代化」モデルとなった浄土真宗は最も矛盾が少ない宗派のはずだが、そこから離脱した、あるいは参入を拒まれた仏教者が拠り所としているのは、アジアの「出家仏教」たるテーラワーダ仏教なのだ。管見を述べれば、そもそも浄土真宗の寺院が家族経営であることと教学の関係は薄い。それは親鸞の血統への土俗信仰の模倣であり、有力な戦国大名だった本願寺門主一族の家臣団として編成された寺院形態を継承したに過ぎない。「大名の家臣」を辞めたら、その時点で真宗寺院が家族で経営される必然性は揺らぐ。

東日本大震災でも証明されたように、宗派を問わず、葬送儀礼を中心としたお寺の機能は、日本社会に欠かせないものだ。しかしお寺の当事者が「仏教」を掲げる限り、自らのアイデンティティに迷うことは免れない。近代化によって仏教寺院の担い手とされ、しかしその地位も立場も曖昧にされた女性たちは、より深い迷いを担わされている。

寺嫁からウパーシカーへ

天野自身もずっと迷ってきた。夫婦二人三脚で「みんなの寺」を立ち上げ、寺嫁として周囲から認められ、長女を出産して母となり、ふつうのラブコメであればこれでハッピーエンドだ。しかし、天野は違った。前著『みんなの寺のつくり方』第八章のタイトルは、「『お寺の奥さん』になんか、なりたかったんじゃない」である。寺嫁にも、専業主婦業にも「やりがい」を感じられずに苦しみ悩んだ天野は「スーパー坊守」になりたい、「仏教×女性の幸せ」を説くエキスパートになりたい、という目標を見出した。それが前著の結論だった。
一方、本書の巻末で語られる「ウパーシカー(在家女性信者を指すパーリ語)」という言葉は、特別な存在たらんとする自負が漂う「スーパー坊守」よりもずっと肩の力が抜けた響きを持っている。

「妻」「母」「娘」「坊守(寺嫁)」「(日本の)尼僧」……。
 私には、さまざまな役割と肩書きがあります。そのなかで自分に一番しっくりくるのは、次の言葉です。
「ウパーシカー(在家女性信者)」
 在家信者として出家者を敬い、お布施や持戒などの善を行ない、瞑想もして、法を学んでそれを人にも伝えていく。
 仕事に精を出し、和やかな家庭を築き、まわりの友人と支えあっていく。
 そんな「理想的な在家生活」を、今生で実現したいと望んでいます。」(あとがき)

若くして「日本の寺嫁」の迷いを体現してきた天野は、期せずしてこの国の仏教が積み残した課題に一つの答えを出そうとしている。それは、浄土真宗からテーラワーダ仏教へ、というような宗旨ラベルの張替えではない。在家仏教を標榜しながらも、そのモデルを持ち得なかった国の仏教徒が、テーラワーダ仏教の伝統の中に生き生きと輝く「在家仏教」のあり方を発見したことに尽きる。

そこで天野は、ひとりの「ウパーシカー(在家女性信者)」としてブッダとの縁を結び直した。率先して、「ブッダの娘」になったのだ。パーリ経典のミャンマー語訳では、「bhikkave(比丘たちよ)」という釈尊の言葉が「愛する息子、比丘たちよ」と意訳されるのだという。個々の仏教者が、ブッダの息子、ブッダの娘、として生きれば、僧だとか、坊守・寺嫁だとか、かりそめのの役・立場を「わがもの」として悩む必要はない。

本書は日本における「ウパーシカー(在家女性信者)仏教の誕生」を画するメルクマールとなるだろう。(佐藤哲朗

(初出:月刊PR誌『春秋』2013年1月号,春秋社)

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