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noteが創作の楽しさを思い出させてくれた

最近、noteを投稿するのが毎日の楽しみとなっている。

noteを始めるまでは日々感じたことに対して、なぜそう感じたのかやどう思ったのかなど、深ぼりをせずになんとなくのまま放置していた。特に発信する場もなかったし、聴いてもらいたいという欲もどこかへ行ってしまっていたから。そうしていくうちに、感じていたことはいつの間にか記憶の彼方に葬り去られ、感性の幅や思考の深さを広げる機会をみすみす逃し続けてきた。

しかし、日々感じたことや思ったことから他人に見てもらう記事を作成するには、出来事や思考をしっかりと整理し言語化して必要なエッセンスを抽出する必要がある。そして、自分の言葉として紡ぎ、自分だけのオリジナルコンテンツとして投稿することがとても大切だと気が付いた。そう、noteは創作活動なのだ。そしてこれがとても楽しい。

でも、私はこの創作が楽しいという感情をつい最近まで忘れていた。

思い返してみると、昔から創作活動は好きだった。
幼稚園生の頃は、鳥や恐竜の絵を描いたり、頭の中に思い浮かんだ仮想の風景を描いて親や友達に良く見せた。みんなが「すごい!よく描けているね」と喜んでくれるのがとっても嬉しくて何枚も描いたっけ。

小学校でもステンドグラスや彫刻などを誰にも負けない熱量で取り組み、それなりの作品を作り上げた。特に、この時作ったステンドグラスは、人生の中で作り上げた作品群の中でも1・2を争うほど出来が良かったと思う。中高はアニメにドはまりしていた関係で、アニメキャラクターの模写なんかもよくやった。

そして、大学では、所属していた部活動の宣伝PV動画や公演会の劇中動画を作成したり、パンフレットやホームページのデザインなどを担当した。今考えると相当クリエイティブなポジションに携わって、創作活動していたんだなと思う。

人生のどの場面を切り取っても創作していた時期があり、全て楽しかった記憶しかない。特に、自分が考え産み出したオリジナルの作品を他人に喜んでもらえたときは喜びもひとしお。創作がとても好きだった。

しかし、部活を引退して、将来を考えたことが創作から離れるきっかけとなった。そもそも、クリエイターはお金にならない。そして、いままでは趣味の域で楽しんでいたやつが、プロの世界で通用するとは思えない。そういった考えから創作の世界に飛び込むのを辞めた。そして、クリエイターにならないのであれば費やす時間がもったいないと思い趣味での活動もやめてしまった。動画編集にデザイン、絵を描くことも。

自分に感性だけに付き従い、考えたものを発信して人に見てもらう場所も機会もなくしてしまった。そして、創作する楽しさも忘れてしまっていた。

でも、そんな感情をこのnoteが再び思い出させてくれた。自分の想いや考えたことを文章化してオリジナルの記事を作成する。それを他の人に読んでもらい、あわよくば喜んでもらう。それがいま一番の楽しみとなっている。

今日も一日ありがとうございました。

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