京都で蹲る

いつも通り、年始は京都で過ごす予定だった。

秋ごろ4泊分宿をとって、いつも通り、
あとは時期が来たら18きっぷで向かって、
向こうに着いたら思いつくままにぶらぶらして、おいしい物を食べてって、
そんな風に思っていた。

けれども、年末の出来事の後、久しぶりに吐いて全く眠れなくなってしまった。
大晦日、元日と、物も食べられず眠ろうとしているのにほぼ完徹状態が続き、精神状態も最悪に。

その後も眠れて1,2時間という状態。

これはだいぶまずそうだということで、
京都行きの道中、名古屋で渡し物をする話になっていた元同僚に、
加えて諸事情によりカラオケに行きたいと伝え、予定よりも長く途中下車することになった。

***

この状態で長時間の移動に耐えられるのかと早朝の出発ができるのかと不安だったけれども、
やっぱり全然寝付けなかったのでむしろ寝坊の心配はなく、意志の力のみで始発に飛び乗った。

そして長い長い静岡を越えて愛知に入り、名古屋着。

待ち合わせた相手と合流し、そのままカラオケへ入る。
ざっくり年末に人に会ったということのみメールで伝えていたものの
詳細は伝えないままその時浮かんだCoccoの曲を歌い続けた。
相手もだいぶ不穏な雰囲気は感じていたとは思うけれども、はじめのうちは何とか保てていたはずだった。

でも、樹海の糸を入れて、歌おうとしたら、もうダメだった。
イントロが終わり、Aメロを歌おうとしたら、声が震えて言葉にできなくなった。
そしてぼろぼろと涙を流してしまった。

「例の人の件…?」
問われたけれども、答えられない。

「…無理」
言えたのはそれだけだった。

その後、しばらくして何とか呼吸を取り戻し、相変わらずCoccoを歌い続けた。
そして予定の終了時間が来て、カラオケを出た。

とっくにお昼時を過ぎていたのだけれども、こちら依然として食べられる状態ではない。
しばらく大丈夫そうなところを探した後、やっぱり無理だとお茶のお店へ。

公衆の面前だと自動的にガードがかかるので、当たり障りのないところから、ぽつりぽつりと状況を吐き出す。
しかし、自分でも自分の状態がよくわかっていないのでいまいち要領を得ない。
店にも随分長居をしてしまったし、相手にも昼食もとれないまま長時間付き合わせてしまった。
悪いとは思いつつも、少しだけ軽くなって店を出た。
そして、駅で解散し、京都へ向かう。

米原からの新快速では少し眠れるかなと思っていたけれども、やはり全くだめだった。
さすがにそろそろまずいのではと思い始める。
思えば足の体温や感覚もなくなってきていた。だいぶ色々おかしい。

不安を抱えながら京都着。すっかり夜になっていた。

一刻も早く宿で休もう、眠れなくてもせめて安静にしようと、とりあえず宿を目指す。

チェックインを済ませた後は、感覚のなくなった足を暖めようと入浴の準備をした。
そして、熱いお湯につかっていたら身体がおかしくなった。
いきなり鼓動が早くなり、おかしい、一体何だろうと思っているうちにふっと意識が遠のいた。

普段は血の気が多いほうなので、これまで立ちくらみや気絶などということは体験したことはない。

どこかでこれは死ぬやつだ…というのがよぎった。
冬場の風呂場、心臓…
志村さんが亡くなったのも、大学時代に恩師が脳梗塞になったのもこの時期だ。
救急車を呼ぶべきなのだろうかとも思った。でもわからなかった。

気付いたら風呂場から室内に移動していた。
けれども結局助けは呼ばなかった。呼べなかった。
もういいやと思ってしまった。解放されたかった。

ずぶ濡れのまま、しばらく泣いていた。
実際に死ぬことはなかったけれど、それははっきり死を意識した瞬間だった。

その後はとにかく具合が悪く、起き上がるのも何をするのも辛い状態が続いた。
出先で行くべき病院もわからないし、帰宅する余力が残っているのかもわからなかった。そして何より、帰宅後すぐに始まる通常の生活に身体が耐えられるのか…もう何もかも絶望的だった。

結局、京都滞在中のほとんどは宿の部屋から出ずに、ベッドの上でうずくまって過ごした。
季節柄か、近くに大病院があったからか、通りを走る救急車のサイレンがやけに耳についた。
依然として眠れない。眠れないけど、とにかく安静にしていた。

食事は宿で出る朝食を少しつまみ、後はさすがにそれだけだとまずいかと
夜には様子を見ながら外へ出て近くで惣菜を買ったり食べられそうなものを食べたり食べなかったりした。

休息が良かったのか、少しずつでも食べ始めたのが良かったのか、
理由は不明ながらだんだん食べられる・動けるようになっていった。

1月7日には、上賀茂さんのお粥を食べに行った。

馬にも会ったし、ゆっくり境内の水辺を散歩したりもした。

芸能人の方(お笑いの方かな?)も来ていたようで人だかりができていた。

その後は、下賀茂さんへ行って森を散歩したり、

六角さんへ行って白鳥を見たり鳥みくじを引いたりした。

そして、あっという間に帰宅となった。

いつも京都はあまり予定を立てずに現地で適当過ごしているけれど、
これほど何もしない(できない)滞在は初めてだった。

でも、ある意味これが京都滞在中だったのは良かったのかもしれない。

もし自宅にいたら、もっと絶望的で、快適に休むという環境も作れなかったと思う。

宿のベットでうずくまりながら考えていたあれこれには
解決の糸口が見出せていないし、
年末のことをきっかけに、開いてはいけないものが開いてしまった感じは否めないけれども、

今は京都にいた時よりは、少し元気です。

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