自分はいつの間にか大人になってしまった ~天気の子を見て~

天気の子を見たのは8月。確かお盆過ぎたくらいだったが残暑どころか夏真っ盛りの暑い日だった。

これまでも新海誠の作品は好きだったのと、今回は「君の名は。とはうって変わって新海誠が戻ってきた!」という感想をTwitterなどで見ており、今回の作品を楽しみにしていた。しかも、今回は前回の大ヒットもあり初めてIMAXの大スクリーンに「でかい」以外の言葉を見つけることもできず2時間じっと座って目の前に流れる映像を見ていた。

すべてのシーンが終わり、照明がついたとき、そこには恐ろしいまでの気持ち悪さと虚しさだけがそこにあった。

もちろんこの作品をけなすつもりは一切ない。音楽も絵も演出もストーリーも新海誠だ。確かに新海誠は帰ってきた。彼の作品のコアな部分は昔も今も変わっていない。変わったのは"自分"だ。

新海誠作品の根幹をなすのは"思春期の恋愛"、そこに"セカイ系"的大げさな設定と演出が交じる。(短編系の作品は設定と演出は比較的現実的なものとなるが)
ネタバレは避けるものの、今回も天気をテーマにただの中高生がキャッキャしてるだけだ。彼らは本能のまま、自分に正直なまま生きている。自分に都合の悪いことは否が応でも排除しようとするし、自分の願いのためならたとえ他人に迷惑をかけようとも実行する。

そんな自分さえよければいいという価値観を持つ主人公やヒロインの行動だったり発言にはいらっとするところもある。「お前は一体何考えとんねん」「間違いなく炎上案件だな」そんな言葉が頭をぐるぐる巡らせていた。

でも同時に思春期ってそんなもんだよなと思う自分もいた。完全に中二病をこじらせていて、とにかく感覚的にかっこよさそうな言葉を使い、自分の好きなことだけをひたすらやる。毎日が楽しければそれでいい。無限のような時間だった。

でも今はいわゆる"大人"にカテゴライズされるようになり、毎日会社に行って与えられた仕事をこなし、とにかく周りに迷惑をかけないように生きる。
発言する言葉は炎上したり批難されないよう最新の注意を払って選ぶし、どれだけ酒を浴びようが、夜になれば明日のことが脳裏によぎるくらい時間は有限であると突きつけられる日々。

そんなアダルトな色眼鏡から映る彼らはどうしようもない人たちだ。きっと親だとしたら間違いなく怒鳴り散らすだろう。「どれだけ人様に迷惑をかけたかわかっているのか」と。けど、彼らに反発できるほど自分はこれまでの人生において聖人君子とは到底言いようのできない自分にはきっと責める資格はない。規模は違っても自分だってさんざん人に迷惑をかけてきたし、心配もさせてきた。

もちろん人に迷惑をかけることがいいことではない。でも少年少女というものはそんな存在だと新海誠は教えてくれる。ほんとにこの人は40を過ぎているのか。明らかに普通の大人ではこんな作品を作ることはできないはずだ。少なくとも自分なら強烈な拒否反応を起こすに違いない。

天気の子を思い返せば思い返すほど、自分は大人になってしまったことを思い知らされる。心はまだ若いと思っていたので悔しかった。でもこれだけの感情を起こしてくれたこの映画には僕は賛辞を送ることしかできない。物語というのは自分に都合のいいものではなく、様々な感情を与えてくれるものこそが素晴らしいものであるべきだ。

この映画を5年後、10年後見返したときにどんな感情が生まれるのか、今から楽しみである。

P.S.
映画を見たあとの日本には台風やら大雨やらの災害が去年に負けず発生し、不謹慎ながらその映像を見ては天気の子を思い出してしまう自分がいた。

P.S. 2
最近流行っている「JOKER」もTwitterにでてくる感想を見る限り同じような感覚になりそうな気がする。

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