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独身女性の幸福度

独身女性は独身男性と比較して、幸福度が高いという比較したグラフがTwitterで流れてきた。(こういう感じの情報
幸福度は相対的ではないはずだけど、ジェンダーで比較するのはめずらしくて会社の社長との雑談で話のネタにしたりした。

女性は家庭に縛られず、孤立しすぎないよう周りと交流するかららしい。

私は独身女性なんだけど幸福かと言われたら「そこそこ」だけど、自分が子どもの頃想像していた成人女性の生き方より、自由で自律している自負はある。
男性の幸福度が低い点は、当事者の人の意見を知りたい。


思ったより不幸ではなかった女の人生

自分の母と祖母の人生を間近で見てきて、尊敬はしているが、申し訳ないけど女に生まれたことを後悔していた。
4〜5歳のころ、男の子になりたかったので、自転車を買ってもらうときに仮面ライダーのものを希望したけど却下されて、盛大にショッピングモールの床で駄々をこねて勝ち取ったことがある。
そんな風に男性として生きる権利を得たかった。
でも女として生きることはそれほど絶望的なものではなかった。
仕事、対人関係、健康面でストレスゼロではなく、完璧に幸福な状態ではないけど。

もともと女の人生への期待値が低かったので、自発的に幸福や自由を感じられるように努めてきた。
服装、付き合う人たち、勤める会社が保守的にならないように選択してきたのもある。


共感はしんどい

共感するのが苦手。とても疲れる行為だから。
でも現代人は孤独で、みんな自然な欲求として共感を求めている。
大げさかもしれないけど、共感することは「生きづらさ」をもたらす。
例えば、差別など辛さを感じている立場の人に共感することは、かばう行為や差別が構造化された規範への疑問を感じ、黙って見過ごせなくなる。

一緒に傷つき、怒るようなことは厳しい体験となることもある。共感しなければ平和な日々を送れたかもしれない。
共感をすると、相手と自分の心の境界線がぼやけていくので、共感に飲み込まれない観察眼も必要となる。
他者をケアすることは、根気がいるので自分自身が充足していないなら無理にしないほうがいい。特に女性はあらゆる場面でケアを求められるし、実際してしまうように思う。

あと、自己肯定感という言葉を最近よく見聞きする。
肯定は現状よりも向上するニュアンスがあるので、このご時世にはしんどい。「共感」が受容とセットで行われるものなので、現状をありのままを受け入れる「自己共感」の方が向いていると思っている。


自由を積極的に獲得する難しさ

自由と幸福の両方を手に入れたいと思いつつ、それが矛盾していることに気づいた。母と祖母のように夫や家族に縛られない自由な人生が欲しくて、継続させるための葛藤だらけだったから。

個人的自由について、近代化以前は個人的自由が欠如していて、人生の意味を疑う余地がなく疑う必要もなかった。それぞれに困難はあったと思われるけど、安定感と帰属感があり「自由」についての悩みは現代よりは少なかった。

現代は、古い敵(慣例など)から解放されて、個人的自由を手に入れているようで、世論や常識という匿名の権威に晒されている。
また、資本主義が浸透して、自分に対しても他人に対しても、市場で価値のある性質でなければ無価値としている。
マキャベリは個人的利益の追求はどんな道徳的思考よりも力強く
「人間は自分の父の姿を見るよりも、財産を失うことの方が耐えられない」
と言ったが、この利己的な自由観は、背後に不幸が隠れている。


多くの欲望を持ち、成功し、大金を得ること、特権を手にすること、いい自動車に乗ることなどを、自分が考えた最良の選択と思いこみ、貪欲に追い求めるが、満たされない。
満たされない欲望を持ち続けることが「自分の考えた選択ではないかもしれない」という疑念は、根本を問い直す煩わしさがあり、疲労と抑圧があるため問い直す人は少ない。
利益を求めて働いたものは新しい資本として、人間の主人である資本に取り入れられていく。

常に満たされない無力感、孤立する「自由」を避けるには、人間の本性を理性で制御していると言う思い込みを止めて、冷笑的にならず批判精神を持って世の中の流れに迎合しすぎないこと。
そして、自らの自由意志で「理性」と「自然」を分裂させていない状態で受け入れること。
利己的な自由の逆の、利他的な自由があるとすれば、他者に合わせる余裕を持ち、特には苦痛となる「共感」もできることかもしれない。

積極的な自由の獲得は結果ではない。生きる行為の過程そのもので自由の喜びを体感して、自由な個人であるために自分を商品化せず、人間性を守り続けたい。



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