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エッセイ:気軽に履修を!(Easy take!)

オタクは常にかっこいいオタクに憧れるもの。いろんなジャンルのことを知っている知識人に少しでも近づきたいな〜るんるん♪とドタバタ動いた話を書きます。



どうも、『村上朝日堂』に思春期を捧げたオタク。藤吉なかのと申します。


知識人になりて〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!

失礼しました、秘めた欲望が抑えきれませんでした。

マンガ『刃牙』シリーズの「男と生まれたからには誰でも一生のうち一度は夢見る『地上最強の男』」というフレーズは有名ですが…
別にステゴロ地上最強にはなりたくない。
ササミばっか食べなきゃいけないの、嫌。

ヒュー・ジャックマンも身体作りのためにササミばっかり食べることを強いられ、苦手になってしまったと今は亡き「食わず嫌い王」でタカさんにこぼしてたし、やっぱりトレーニングのしすぎってろくなことにならない。

ふつうにセブンの春巻きとか食べたいですもんね。あれ100円ぴったしなのに、"肉"感の強さはホットスナック界随一だと思う


というわけで、私はムキムキマッチョマンよりもむしろTwitterで短〜い文章で笑いを届けたりしている人たちや、様々な芸術のプロフェッショナルの方々に憧れを持っています。
自分に無いものに憧れるとはよく言いますが、全く乖離しすぎているものにも人は憧れないのでは?これが自分の持論かも。


特に僕がなりたいのは、知識人なんですよね。
↑このフレーズそのものがすでに知識なさげだけど!!!な!!!!分かってくれや!!!

何かの作品に触れた時、即座にその影響元や特徴を頭に浮かべることができるのってものすごく楽しく、教養ある人生だと思う。
ものすごく充実した鑑賞体験にも繋がるし、なによりそういう知識を沢山持ってる人って尊敬できる。


ライター・にゃるらさんと詩人・岩倉文也さんが主催した合同誌「インターネット2」の中で僕が1番好きなのは、岩倉文也さんによるエロゲを淡々とプレイしていく青春の日々を、エロゲ×詩や近代文学の知識てんこもりで描く闇鍋のような日記。

エロゲという今となっては超アンダーグラウンドな文化とハイカルチャー代表のような文学が、天才的な視座からの指摘で混じり合う様はあまりにも小気味良い。文化に上下や貴賎はないことを再確認させてくれます。


僕が日本語ラップで好きなグループも、自分たちのヒップホップというジャンルにとどまらず漫画や映画などのネタも歌詞に盛り込むセンスが光る「Buddha brand」です。彼らのリリックに頻発する「緑の五本指 飛ぶ葉 飛ぶ火」「赤目の達磨の叔父貴」なんて言語センス、ちょっと卓越したものがありますから。
僕個人が以前持っていたヒップホップへのイメージも払拭してくれた偉大なグループ!


上二つの例は、まさに知識人による作品群だなぁ〜とワクワクさせられます。HIPHOPって「ヤンチャ野郎が家族や地域共同体への愛を、ゴミ捨て場のソファに座りながら露出度高いねーちゃんを侍らせつつ歌うMV」みたいなイメージしかなかったんですが、ここ最近それを恥じています。ごめんなDev large…

とかくこういう偏見が自分には多いのです。
平沢進のことも一部のファンの言動(「平沢進以前には日本には演歌しかなかった」などの無知発言)が少し苦手だから避けてた節があったし…でも曲を聴くと素晴らしいし…

こういうの、本当に良くない。私のやってることは「こういうのって、結局なにも起きないじゃん?」ときららアニメを避けている人たちと本質的には全く変わらないんですよね。そう気づくと自責の念がすごい。

というわけで自分は今まで全く触れてこなかったものに少し触れてきました。そうすることで少しでも、楽しい知識人ライフに近づくんじゃあないか!?
少なくともひとつは好きな作品を見つけるまで、できる限り掘り続けたい!!そのジャンルとは…………


そう、「俳句」です。


詩は分からなすぎるので、敢えて古典的な俳句ならばどうか!?そして好きな句がある人間ってカッコよくない!?!?というめちゃくちゃ俗っぽいチョイス基準なのはさておき。

具体的に何を読んだとかはちょっと覚えてないのですが、とにかくいろんな俳句の本をちょびちょびと読んでは「わかんね〜!!!」「刺さらね〜!!!!」の日々。作品自体は美しいのだろうと思いつつ、自らの感受性のなさを呪う日々が続いていく。

松尾芭蕉とか与謝蕪村とかならまだ言葉の響き綺麗だな〜でいけますが、比例して新鮮な感動も薄い。(あとこれは記事にすること前提のすけべ根性丸出しですが、今さら記事で取り上げるのも「既出乙w」って感じじゃないですか?)

かといって種田山頭火とかになるとマジで意味が分からなくなってきてしまう。なんで?
五・七・五が無くなってしまっては、それはもはや俳句ではなく「詩」ではないのけ?

「宮沢賢治の良さも、そば・うどんの美味しさも分からないやつに俳句なんて無理だったのかな…」
実際今回私のような素人が見つけることのできた作品たちはどれも時の試練に打ち勝って今も高い評価を受け続けている俳句ばかり。

もしこれが大好きなジャンル・アニメだったら「現代においてセカイ系やSF要素を絡めた青春グラフィティーがあまりにスタンダードになりすぎてるところが、『ハルヒ』がいまいち現代のオタクにアジャストしきれていないところなのかなぁ?リアタイしてないから分からないけど…」とか。

「今まではほとんど描かれなかったレベルの日常にまでカメラを向けて、あまつさえそれをここまでのエンタメに仕上げているところが『らき☆すた』の凄いところなんだけど、やっぱりこれも今となってはスタンダードになりすぎているからなぁ…」とか言い訳を考えられますが、俳句という超・アウェーのフィールドだと「分からない自分側の勉強不足」の一語に尽きる。

そう思っていた矢先、私の目に飛び込んできたのが今回取り上げる一句。


「朝顔や
   釣瓶とられて
        もらい水」

千代女


………良い。語感が良い。オーソドックスな五・七・五の形だし、農民が生活をする際に否応なく彼らを包むであろう、土臭い雰囲気や感触が文字からビンビンに伝わってくる。
初めてスタインベック『怒りの葡萄』読んだ時は、トラクターやダイナーといったモチーフにこんなに近代的な土臭さを内包させることができるんだ!と驚いたけど、この俳句には日本的な情景の綺麗さ…がある気がする。

でもあくまで私は素人。知識ゼロのアジャパー野郎にはぜんぜん意味を掴みきれなかったので、解説を読んでみる。すると………

井戸から桶で水を汲むための釣瓶に蔓が巻き付いてしまって、そこに朝顔が花を咲かせている。

見とれてしまって、邪魔だ!と花を取り除くことができない。

そこで、隣の家に水をもらいに行ったのだった。

いや、良すぎないか????


あまりに味わい深い内容にひっくり返ってしまった、凄すぎる。

押井守だったか高畑勲だったかが言っていたような気がしますが、「作品から何を読み取るかは鑑賞者の持っているもの次第」的な言葉が今になって刺さる。この句から自分がメッセージとして受け取ったものは、やはり身近な普段考えていることでした。

この句が描いてるのは、日常に潜む小さな「無駄(=芸術)を愛でる心」なんじゃないか。

生きるために水は必須で、そのために庭先の井戸はいつでも使える状態の方が何かと都合が良いはず。お洗濯する時とか、炊事の時とかいちいちお隣さんにもらいにいくのはご近所付き合い的にも避けたいのでは?

きっと江戸時代の田舎における「隣」って、現代日本の「隣」とは考えられないくらい遠方なわけで。キノ1巻の「人の痛みがわかる国」みたいなレベルの遠さなんじゃないだろうか。


でも、主人公は「朝顔」という美をそういった即物的な利益のために払いのけることをしない。これはつまり、生存の為に無駄を切り捨てる動物的な思考の否定に他ならない。

生存の為に必要不可欠な水を効率よく得るために、自らの心を強く動かした「朝顔」を切り捨てることはあまりに理論的。
でもそういった教科書的な生き方を突き詰めていくと、娯楽や人間が人間らしく得ることのできる快楽はどんどん失われていく。そんな味気のない生活が行き着く先は、「死なないために生きる」という無味乾燥とした人生でしかない。

『ベルセルク』でもグリフィスが「生まれてしまったから/しかたなくただ生きる……/そんな生き方オレには耐えられない」という作中随一の名言を残していますが、まさにコレ。


この句で主人公は「井戸の水」という便利かつ生きるのに必要不可欠なものを遠ざけてまでも、自らが美しいと感じる「朝顔」を優先した。朝顔よりも何よりも、「生存」と「美」の二者択一で迷わず「美」を選択することができる主人公の生き方が美しい。

自分も日常生活で面倒な勉強や課題に追われている時、どうしても効率ばかりを気にしてしまって投げやりに1日を過ごしがちになります。見たくもないYouTubeを見てしまったり、部屋の掃除や服の整理をしてしまったり…

江戸時代、布や紙を貼る表具職人の家に一般庶民として生を受けながらも一流の俳人として名を馳せた(らしい)「千代女」という方の句というのがさらに泣かせますね。

安定した「生存」を取る生き方よりも、危険すら覚悟の上で心が望む「美」を追求する生き方を選んだ人間として、その覚悟と精神性を込めた句なのかもしれない。

かっこいいなぁ!!!こういう美しいものにだけ触れていて〜〜〜よ!!!


というわけで、今回「知識人になりたい!」と息巻いて俳句をほんの少しだけ掘ってみた結果としては…………………

未知の分野に踏み込んでいくの、超・楽しい!!!!!!

という結論に至りました。

俳句に対する感情も、「無」から短い言葉の中で韻律だったり意味を作り出していくスタイルはすごく興味深いな〜というプラスのものへと変わりました。なんかきっかけがあればこういう価値観の変化って簡単に起きちゃうんだな〜と改めて思いました。

ただわりかし手間と労力を要する為、かなり時間がないとしっかりした成果は得られないかも…!その間の「こんなに名作ばかり(らしい)のに俺はその良さが分からない!」という自己嫌悪も若干しんどいし…

最後まで読んでくれた方がいたら、ありがとうございます。アニメの話ばっかしてるので、よかったら他の文章も読んでくりゃれ…


オモコロが好きなのであの様式美に則り、毎回終わり際にリンク貼りたいのですが、今回ばかりはいいのが思いつかないので。

エッセイ本文とはあまり関係ないのですが、「美」に生きた人間の悲喜こもごもを斬新に描いた、若き天才の意欲作!新作劇場版も公開が近いらしいし、この作品自体もマジで最高なので!激賞!!!

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