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プロローグ3  就職

”潜在意識に響かせる 何か気になるスタイリング”
スタイリスト 中山ユカリです。

このサイトを見つけてくださってありがとうございます。

私の体験が、あなたをとおった時
私色mixあなた色にremakeされ、新しい個性を持ってあなたから発信されること
あなたならではのモノがさらに引き出されるきっかけとなりますように。

願いを込めて手渡します。

さて、とっとと就職先は決まったのですが、最初からスタイリストの職には就け無かった私。
アシスタントをするには、一人で暮らせるほどの収入は無いという現実を知る。
しかし、東京に残る理由を作るには就職をして一人でくらせるほどの収入を得ること。

最初の就職先は、当時まぁまぁ好きだったアパレル企業。
いわゆる洋服ブランドの販売でした(お給料で選んだところ(^^;)


一つ目の ”親”


初めて働くということを学んだ場所は、今も全国展開している人気ブランド。
私が配属されたのは全国の中で唯一 ”研修店” となっている本社直系店舗だった。
全国に数多く直営店・フランチャイズ店を持っていた企業だったのですが、この研修店には全国から店長が入れ代わり立ち代わり研修に来るという特殊な店舗。

いわゆる、そのブランンドの顔となるモデル店舗だった。

当然、厳しい・・・(^^;

上下関係・規律・規則・規定みたいなものの宝庫・・・。
ここでまた、苦手なものに囲まれることになるのですが。

”働く”ことが初体験の私 (高校時代の内緒のバイトはありましたが、形態がまったく違う)

”社会に出て働くってこんなものなのかな”
と、あっさり納得して早く馴染むことに徹していた。

幸いなことに、全国の店長が数日間の研修にいらっしゃるので、他店舗の「違う」ところを聞けたことは当時の私の視野を広げてくれた。

”そこしか知らない” ことは ”そこが全て”

となる危険性があったのですが、さまざまなやり方があるのだなという、ある意味俯瞰して見れる場所だった。
当然、ペーペーの私は、当時そんなことまで考えていなかったのですが、同じ店長という立場でも、場所や立ち位置で意識や大切にしているところが違うということは、肌で感じることができた。

直営店の店長でも配属店舗・設置県によって上下がある事、当然ですが、直営店とフランチャイズの店長ではまったく意識が違うこと。
当時の私は、フランチャイズという言葉も初めてで、休み時間に研修にいらした店長から伺う話がとても衝撃的だった。
同時に、難題を抱えながらも、このブランドが好きという思いが伝わり、こんな風に選ぶ仕事もあるんだなと驚いたことを覚えている。

ここは私の

”社会人としての親”

に巡り会った人・場所だった。


ジレンマから学んだこと


この店舗では何から何まで決まっていた。

朝の朝礼は、当日のお店の売り上げ目標、一人一人の目標、それぞれからの申し送り、直属上司からの感想に始まる。
(直属上司とは違う呼び方をしていたのですがここでは伏せておきます)

新人は1対1で何かと直に教えてもらったり相談にのったりできる担当上司みたいな方が付く方式。
その方とは期間が終わるまで、交換ノートみたいなものを交わす決まりだった。毎日・・。
私はその方よりも副店長の方が波長が合うというか。
それでなんとなく副店長に相談をすることも多かったのですが、そんな態度がその担当上司を寂しくさせていたようで、、、これにかなり気を使った・・・。

仕事は接客以外にも、レジ、パッケージの準備、ストック管理、品出し、仕入れ管理、電話対応、顧客管理、商品のタグ付け、商品整理、掃除、DM書き、棚卸などなど。
お店の売り上げをあげるにはよく動く商品(この店での売れ筋)を把握して、できるだけたくさんその商品を入れてもらうことも一つの方法だった。
私は店長からよく指名されて、閉店帰りに希望商品の納品交渉をしによく本社へ立ち寄った。
商品の納品数などを担当している部署があってそこへ他店よりも数を多く入れてもらえるように交渉する。
売れ筋はどこの店も欲しい=直接交渉したほうが納品数確率が上がる
この時、初めての交渉術のようなものを学んでいたのかもしれない。

お店を出るときには用事の種類によって文言が決まっていて、お店の出入り口で一礼をしながら元気な声で店内へ伝えるという決まりもあった。

ブランド店だったので、お給料の大半を洋服につぎ込んでいたのですが、ここの店舗では売れ筋は買ってはいけないという決まりがあった。
ブランド全体に死筋をつくらない、という理由から。
なので、死筋(しにすじ)と呼ばれる、いわゆる売れ残りデザインのものを着て、それを勧める。

「今、私が着ているのがこちらですよ^^こちらにこれを組み合わせてポイントはベルトで。」とか
「あら、お揃いにしましょうよ。色違いはこちらですよ。」などと、

販売員が着ているとなんとなくよく見えるという作戦ww
不思議とそんな風に話していると実際にお買い上げいただいたりする。。。
徐々に私を指名してご来店くださるお客様も増えてきてやりがいも出てきた。

洋服ブランドで働いているのに、着たいものを着れないジレンマ。
(ちなみに、のちに他店舗では売れ筋を買えることを知ってビックリした)

制服を改造していた高校時代が懐かしい~ww

今あるものの中から ”らしくなる組み合わせ” を学んだ最初の場所だった。


仲間とは違う関係


人間関係も働くという場所では、今までと変化する。
上司・先輩・同期・後輩みたいな縦軸にそれぞれの横軸(他部署の方々)が関わりあってゆく。

先生または”仲間” (教えてもらう または ともに学ぶ)として付き合ってきた関係が複雑になる感じ。
けど、”上の意見は絶対” という風潮があったから、店長の意見が全てだった。

実家の構図に慣れていたから、反発しようとは思わなかったけど、息苦しさは感じていた。
反発するつもりではなく、自分の意見というか自分を出したとき

”それはあなたの言いわけです”
と、さっくり切られる感じが何ともむなしかった。

店長はドリカムの吉田美和ちゃん似のステキな女性で、厳しかったけどおしゃれで綺麗で仕事から離れると気さくに話せたので大好きだった。
仕事帰りにはショッチュウ全員を連れて食事をご馳走してくれた。
プライベートなことや雰囲気に乗せられて仕事のことなどを話して盛り上がっていた。
そんな時は、仕事中の顔とは違う、信頼できる懐の広いお姉さん的な存在だった。
その店長が、あなたの言いわけです と言わなきゃいけないほど、

企業の中で働くということは、

”ブランドの個性に統一すること”

なんだと、無言で感じていた。

親から離れて生活をしていた私にとって、何をするにも社会から教わることが当たり前だった。

壁にぶつかっていることすら気づかないほどの初体験の繰り返しは、いつしか初体験を少なくしていくのだけれど、両親の代わりとなる親的存在の場所に巡り会うたび、私は社会人として成長していた。

社会人の成長は自分の成長なのだろうか?
そこに疑問を持つ時、無意識下の始まりはこの場所だった。

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