見出し画像

自己を超える利他 "「利他」とは何か3/4"

宗教的伝統における利他

 『「利他」とは何か』においては様々な角度から「利他」という行為やあり方について考察をされています。

その中でも若松英輔さんは宗教的伝統における利他の概念について深い洞察を提供しています。

「多くの宗教的伝統において、利他は中心的な教えの一つです。しかし、それぞれの伝統によって利他の解釈や実践の形は異なります」

「利他」とは何か

本書では、仏教における慈悲の概念やキリスト教における隣人愛など、様々な宗教的伝統における利他の概念を比較し、その普遍性と多様性を指摘しています。

例えば、仏教では「慈悲」(サンスクリット語で「カルナー」)が中心的な概念の一つとなっています。チベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世(1935-)は『慈悲の力』(1995)において次のように述べています。

「慈悲とは、すべての生きとし生けるものの苦しみを取り除きたいという願いです。それは、自己中心的な態度から解放され、他者の幸福を願う心です」

ダライ・ラマ

一方、キリスト教では「隣人愛」が重要な教えとなっています。神学者のラインホルド・ニーバー(1892-1971)は神学の中で、隣人愛の本質について次のように論じています。

「キリスト教的な隣人愛は、単なる感情ではなく、他者の真の幸福を願い、それに向けて行動する意志です」

ラインホルド・ニーバー

これらの宗教的伝統における利他の概念は、現代社会における利他の実践にも大きな示唆を与えています。本書では次のように指摘されています。

「宗教的伝統における利他の教えは、現代社会が直面する様々な課題に対しても、深い洞察を提供してくれます。例えば、環境問題や貧困問題に対する取り組みにおいて、宗教的な利他の概念が重要な役割を果たしうるのです」

「利他」とは何か

実際、宗教的な利他の概念に基づいた社会活動の例は数多く存在します。例えば、カトリックのマザー・テレサ(1910-1997)によるインドでの貧困者支援活動や、仏教僧侶のティク・ナット・ハン(1926-2022)による平和運動などが挙げられるでしょう。平和と利他という関係性で考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

現代の精神性と利他

本書では更に、現代の精神性の文脈における利他についても考察することができます。例えば、マインドフルネスの実践などを通じて、自己と他者、そして環境との繋がりを意識的に体験することが、新たな形の利他につながる可能性が示唆されています。

この点について、心理学者のダニエル・ゴールマン(1946-)は『社会的知性』(2006)において、マインドフルネスの実践が共感性や利他性を高める可能性を指摘しています。ゴールマンは次のように述べています。

「マインドフルネスの実践は、自己と他者への気づきを深め、共感性を高めます。これは、より深い利他的行動の基盤となりうるのです」

ダニエル・ゴールマン

さらに、哲学者のチャールズ・テイラー(1931-)は『世俗の時代』(2007)において、現代社会における「スピリチュアル・ターン」について論じています。テイラーによれば、制度化された宗教から離れつつも、なお超越的なものとの繋がりを求める傾向が現代社会に見られるというのです。

テイラーの視点を踏まえると、現代のスピリチュアリティにおける利他とは、個人の内面的な体験と社会的な行動を統合する試みとして捉えることができるでしょう。

「エコロジー運動や動物愛護活動など、環境や生命への配慮を重視する活動は、新たなスピリチュアリティと結びついた利他の形と言えるかもしれません」

「利他」とは何か

利他と超越性

磯崎憲一郎さんは、『「利他」とは何か』において、利他と超越性の関係について興味深い視点を提供しています。

「利他的行為には、しばしば自己を超えた何かとの繋がりの感覚が伴います。これは、宗教的体験に近いものかもしれません」

「利他」とは何か

磯崎さんは、利他的行為を通じて体験される自己超越の感覚が、現代社会における新たな精神性の源泉となる可能性を示唆しています。

この視点は、心理学者のアブラハム・マズロー(1908-1970)の「自己超越」の概念とも深く関連しているのではないでしょうか。マズローは晩年の著作『人間性の最高価値』(1971)において、自己実現を超えた段階として「自己超越」を提唱しました。マズローは次のように述べています。

「自己超越とは、自己を超えた何かより大きなものとの一体感を体験することです。それは、利他的行動や創造的活動を通じて達成されうるのです」

アブラハム・マズロー

マズローの思想を磯崎の議論と結びつけると、利他的行為は単なる道徳的義務ではなく、個人の成長や自己実現の過程とも深く結びついていると考えることができるでしょう。

さらに、哲学者のケン・ウィルバー(1949-)は『統合心理学への道』(2000)において、スピリチュアリティの発達段階について論じています。ウィルバーによれば、最も高次の段階では、自己と他者、そして宇宙全体との一体感が体験されるというのです。

ウィルバーの視点を踏まえると、利他的行為は個人のスピリチュアルな成長の過程としても捉えることができるでしょう。本書では、このような利他と超越性の関係について、次のように述べています。

「利他的行為を通じて体験される自己超越の感覚は、現代社会における新たな形の『聖なるもの』との出会いかもしれません。それは、従来の宗教的体験とは異なる形で、人々に深い意味と充足感を与える可能性があるのです」

「利他」とは何か

利他と宗教的多元主義

 現代のグローバル社会において、異なる宗教的伝統や価値観が共存する中で、利他をどのように実践していくかという問題も重要です。この点について、『「利他」とは何か』の著者たちも深い洞察を提供しています。

「異なる宗教的伝統や価値観の間で、利他の概念や実践方法が異なることがあります。重要なのは、これらの違いを尊重しつつ、共通の基盤を見出していくことです」

「利他」とは何か

この視点は、宗教学者のジョン・ヒック(1922-2012)の「宗教的多元主義」の概念とも深く関連しているとも考えられるでしょう。ヒックは『宗教多元主義』(1989)において、異なる宗教的伝統を、同じ究極的実在に対する異なる文化的反応として捉える視点を提示しました。ヒックの思想を本書の議論と結びつけると、異なる宗教的伝統における利他の概念も、究極的には同じ人間性の発露として捉えることができるかもしれません。

一方で、哲学者のアライダ・アスマン(1947-)は『想起の空間』(1999)において、異なる文化や宗教の記憶の重要性を指摘しています。アスマンの視点を踏まえると、利他の実践においても、各宗教や文化の固有の歴史や伝統を尊重することの重要性が浮かび上がってきます。

「異なる宗教的伝統の間で対話を重ね、互いの利他の概念や実践を学び合うことで、より豊かで包括的な利他の形が生まれる可能性があります。それは、現代のグローバル社会が直面する様々な課題に対する、新たなアプローチを提供してくれるかもしれません」

「利他」とは何か

宗教と精神性から見る利他の新たな地平

 宗教と精神性の観点から利他を捉え直すことで、従来とは異なる利他の可能性が浮かび上がってきます。

まず、宗教的伝統における利他の教えは、現代社会が直面する様々な課題に対して深い洞察を提供してくれます。環境問題や貧困問題など、グローバルな課題に対する取り組みにおいて、宗教的な利他の概念が重要な役割を果たしうるのです。

同時に、現代の精神性の文脈における利他は、個人の内面的な体験と社会的な行動を統合する新たな可能性を示唆しています。マインドフルネスの実践やエコロジー運動など、従来の宗教的枠組みを超えた形で利他が実践されつつあるのではないでしょうか。

さらに、利他的行為を通じて体験される自己超越の感覚は、現代社会における新たなスピリチュアリティの源泉となる可能性があります。これは、従来の宗教的体験とは異なる形で、人々に深い意味と充足感を与えるかもしれません。

宗教的多元主義の視点では、異なる宗教的伝統や価値観の間で、利他の概念や実践方法の違いを尊重しつつ、共通の基盤を見出していく可能性があります。これは、グローバル社会における新たな形の利他の実践につながるかもしれません。このように、宗教と精神性の観点からも利他を捉え直すことで、個人の内面的成長から社会全体の変革まで、多層的な利他の可能性が見えてきます。

現代社会が直面する様々な課題に対する新たなアプローチを提供してくれるとともに、人々の生きる意味や充足感の源泉ともなりうる利他の可能性を感じられたのではないでしょうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?