笑福亭の"のろい"?

午後のやや散漫としたなか、個人用のスマホに速報が入っていて笑福亭笑瓶
氏の訃報があったのを、年齢もあったのですっかり「鶴瓶が死んだ?」と小声で言ってしまい、隣の職場の女性を驚かせてしまって大変失礼なことをしました。

昼過ぎからイマイチだった体調は夕方に差し掛かるとイマサンどころか、少しでも早く帰って寝たい、休みたい、になり。帰宅後すぐに睡眠、やや微熱と妻から病原菌扱いされて隔離からの本日。すっかり熱は下がり、体のだるさはあれど味覚もはっきりしていてとりあえず正常。妻子はおでかけ。

多分、読み間違えを怒った笑瓶と鶴瓶のお叱りだろうと思いました。にしてはエラい軽いな(ちがう)。

笑瓶氏と言えば「噂の東京マガジン」というのが個人的にはすぐに連想するのですが、東京マガジンで思いつくのは仕事柄不動産絡みで開発モノについての住民クレームだったりする。国立のー、とかそういった報道。

若造のころは「不動産屋、えぐいな」くらいでしたが、この仕事をやるようになってから「いやいや、この点についてはやや無理筋でしょう・・・」ということもあり、何とも言えない気持ちになるのとそもそも子育てもあって、悠長にテレビ見ている時間もないので遠ざかっていた。フジのみんなの競馬、も含めて。

先ほどの東京マガジンの住民云々に戻ると、結局感情、エモーショナルな話が先に立ってしまうとマトモな話し合いにならないのだなあ、とつくづく実感させられた。そうなってしまうと幾ら論理的な根拠を示したところで路線の修正が極めてむつかしくなって、当初だったらすんなりいっていた話もこじれにこじれる、という点ではある意味勉強になる、そんなことを今は思っています。

物事を進めるときに大事なことって何か、と思うと「論拠やデータをもって論理的に組み立てること」と同じように、それを背景としつつも「相手の感情に寄り添う」ということなんだろうな、と四十過ぎてだんだんそれがわかってきて、まあそれが出来ているか、というとやや微妙ですがそういうことなんだろうな、と思っています。

そういえば同じようなタイミングで児童手当の所得制限の話が出ていて、どうやら1,200万円の世帯所得は高級マンションに住んで高級車を乗っているのにどうして手当を出さねばならんのだ、という意見がある、と政権与党の某政治家が述べたことについて炎上して、一部は、いやそんなところに住んで金がない、となっているならば身の程知らずだ、という意見もあり炎上していますね。個人的には「アッハイ事案」だと思っているのですが。

多分、1,200万円の所得でガチで苦しむ、この児童手当てがないから、というのはごくごく限定的でしょう。ただ私が思うのは「お金持ち、いいところに住んでいい車に乗って生活しているんだからいいでしょ?」というレッテル張りを「国民の声」として政府が「イタコ芸」カマしたところに深い病根がある気がしています。

確かに、都心に住んで車は持っているか持っていないかを別として、家を買う(あるいは借りるでもよいですが)とそれなりの金額(家賃、ローン)になり、子供の育児のための教育費もそれなりの金額になります。

そんなところで子育てするほうが悪いんじゃないの?一瞬それは確かにそうですが、縛りがあります。それは共働きするとなるべく職住近接しておかないとワークしない、ということがあるのです。もっと言えば、なんで共働きをするのか、というとかつての夫が働き専業主婦で老後は年金が、という生活スタイルがもはや成り立たない、というか国すら皆働きましょう、老人もなるべく働きましょう、と旗を振っている中、女性が結婚・出産後働かない、という選択肢が実際取りにくくなっている、ということが挙げられるでしょう。

コロナ後、在宅ワークがある程度浸透してきて、保育園もある程度拡充されましたが、それもこの10年弱の話でしょう。それこそ我が家の娘の生まれて保育園に入れる入れないの時は本当に熾烈な問題でしたし今でも一部はそうでしょう。保育士の先生方には頭が下がるばかりですが。

共働き&育児をすると、子供によって個体差ががありますが、ともかく最初最初の1,2年はよく熱を出すし風邪を貰ってくるし、呼び出しを食らう。妻は休みを全部使い果たしたし、私も何とか職場の理解を得て帰ったり保育園に行けない間、自宅で看病をするなどしていました。あの当時はまだ在宅勤務が普及していなくて、PCもなかったので本当にしんどかった記憶がある。

そうした思いで家選びを考えると職場へのアクセスや利便性はやはり重視せざるを得ず、賃貸だろうが購入だろうがそれが基軸になるのは間違いない。また、購入になると、マンションの場合、ライフスタイルの変化もあって、売ることも頭によぎるので、「益がでる」ことは考えなくても「マイナス幅を少しでも出さない物件を」という意思がよぎる。そうすると一部のエリアや物件に着目されて価格が跳ね上がっているんだろうな、と思っています。もちろんそうした土地はそもそも高いし、タワー型の物件であれば建築費もかかるご時世なので。正直私が物件を買った時よりも2-3千万円高くなり、間取りも狭くなると正直げんなりしますが・・・。

こういった物件を買える層は、世で考えられる「生活に困っている人」ではないでしょう。ただ、そんなに生活に余裕があって左うちわで暮らしているか、というとそうでないでしょうし、そうしたレッテル張りをされると、何言っているんだよ、と反発を覚えるのはそうなんだろうな、と思っています。

一方で、数字、つまり国の財政や更に優先しないとホントに大変なことになる分野への支払いもある訳で、これはデータを基に分配していかないとガタガタになるのでそれは冷静に考えないとならない。だからやむを得ず「ここで区切ります」というは必要だしそうしないとどうしようもない。

でもここでどうやって「相手の感情に寄り添う」か、ということが大事なんだろうな、と思っています。それが無くて、お前らは良いだろ?生活のランク下げろよ、ということを暗示された方は恐らく、「はあそうかい、わかったわ、知らんわ」となり、一体感や意識の共有の醸造は絶望的になるのではないかな、とやや危惧をしています。

話はやや飛躍するかな、と思いますが、国民国家、ってなんだろな、というと、nationとしてのナラティブなものを共有できているか、ということなのかな、と思っていて。翻って日本ってなんだろうか、と思うと、戦前は天皇制を中軸に定めようとしてそれが崩壊し今に至るけども三島の「じゃっぷ空っぽ論」でないですが(個人的に三島は好きでない)、何となくそんなことを感じなくはない。共有する物語がなくなりつつあるのかな、と思っていて。12年前に東北の大震災の後、「頑張ろう日本」とあったけど。

個人的にはもうなるようにしかならないし、多分「小さなクラスター」ベースで相互互助するけど、それ以外のクラスター間では知らんわ、という感じになるのかなあ、と思っています。まあそれも我々日本人の選択の結果なので甘んじて受けるしかないんでしょうね。

笑瓶師匠もあの世で柳生博氏に文句言われるんだろうか。
(67) 【TV】モノマネ ゴールデンハンマー - YouTube

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