そういえば、ソフトランディング。
これは、1年間という期間を健康に無事に過ごすことができたという報告のような記事。1年前の記事でソフトランディング(=軟着陸)という表現を使っていたので、それに沿った形でタイトルを設定してみた。
学生の頃は、一年を通した気分の波、体調の波に振り回されていた。夏の暑さにも、冬の寒さにも、秋の寒暖差にも負け続ける日々。このままで社会でやっていけるんだろうかという不安を抱え社会人になったが、この一年以上は、気分、体調の乱高下は抑えられており、淡々と、楽しい生活を送っている。
昨年の春の時点で、夏以降に体調を崩す不安はやはりあったため、春の活動量を減らしてエネルギーを温存するという対策をとっていた。またいざという時のために普段はむしろ有給休暇をあまり使わないといった工夫もしていた。
そうやって暑い夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、おや?やけに天気が良くて気分がいいなと気付いた時には次の春が来ていた。僕の社会人1年目は特に新しいことばかりで、1年が経過するのがあっという間だった。そこで振り返った時に、これまで数年間振り回されてきた体調のアップダウンが、この一年間を通してはほとんど無かったことに気付いたのである。社会人なりたての時の不安は杞憂に終わったというわけだ。
これは思うに、毎日同じ時間に同じ行動をする”仕事”という要素が大きく関係している。学生の頃、バイトはシフトにより時間がバラバラだったし、研究室はさらに時間なんて関係なく行っていた。不規則な生活こそが学生の頃の僕を腐らせていたのだということは、今となっては揺るぎない。
働き出してから1年間の僕の健康状態と、学生の頃の僕の平均的な健康状態を比較すると、大きな違いがあるはずだ。きっと顔つきもマシになったんじゃないかな。多少は目も生き返ったかと(目が死んでるってよく言われてた時期があった)。
やっぱり生活のリズムをある程度一定にするというのが、人間にとっては大切らしい。春や夏には4、5時間しか眠らなくて、冬には十何時間も眠るというやり方では、その場では上手くやれてるつもりでも、季節の影響をあまりにも受けすぎる。生体が勝手に保とうとする恒常性に頼りっぱなしだと、それでも生活することはできるが、気分の浮き沈みという形でしっぺ返しをくらうのかもしれない。強制的に意識して恒常性を保つ、つまり規則正しいリズムの生活を、外圧によってでも取り入れることで、僕は健康を手にすることができた。
就業時間という外圧により、規則正しい生活を獲得し、そしてその結果として健康な心身になることができたと言える。少なくとも僕にとって、お金を稼ぐ以外に仕事をすることの理由が見つかってしまった。
というわけで今は、これからの気分の浮き沈み、体調のアップダウンに対して、大きな不安はない。規則正しい生活の効果を知ってしまったからだ。しばらくは仕事を続けるつもりだし(しばらく?勝手にこう書いてた)、仮にこの形の働き方ではなくなったとしても、無理やりに生活にリズムをもたらす仕組みを導入すればいい。
もちろん、この一年を健康に楽しく過ごせたことには、生活リズム以外にもいくつかの要素があるだろう。新しい環境でも人に恵まれていることや、趣味への取り組みが面白いことなどなど。同僚や友人、そして生活に工夫を加え続けてきた過去の自分、その他多くへの感謝を忘れずに、これからもまた軽やかに生きていこう。
最後に少し飛行機の話を。
飛行機が飛ぶにあたって、離陸の際がエネルギーをもっとも使うし、操縦技術的にも難易度が高い。可能ならば一度も着陸せずに飛び続けるほうが、エネルギー的にはコスパがいい。メンテナンスも、燃料補給も飛行中にしてしまう。もちろん途中で人は乗り込めないし、降りられない。
乗客を乗せない、一人乗りの小さな飛行機は、ゆるやかに高度を上げて、エンジンが不調になれば滑空して降りてくる。もう不時着してしまうのかと思った矢先、それは水面をかすめただけで、少し、水しぶきを上げてまた上昇していく。その飛行機は飛ぶことをやめない。だって飛んでいる時が一番楽しいんだから。
それでは、また。