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居酒屋で残り一つになった唐揚げを食べる人は救世主に近い

私は今までの人生で
最後の一つになった唐揚げの悲しさを
日に日に感じるようになった。

何故彼らは冷たくならなければならなかったのか。

特に居酒屋での唐揚げは悲しさに包まれている。

出てきた当初は唐揚げ自身も熱く、食べ頃だ。

レモンをかけるか否かのやりとりが終われば、
順当になくなっていく人気者。

しかし、不自然に一つだけいつも残る。

破竹の勢いで食べられた勢いはどこへいったのか。

徐々に冷たくなっていくそいつに
私は思わず哀愁が漂っている気がした。


そもそも何故一つだけ余ってしまうのか。

この現象の根本にあるのは
日本人に特有の「遠慮」に他ならない。


最初に来た唐揚げは必ず複数個である。

そのため誰が一つ食べたとしても
誰かが困ることはない。

だから遠慮せずに各々食べていく。

だが、
ラスト一個になった途端
皆の端にブレーキがかかる。

この一個を自分が食べていいのだろうか。

こんないったい誰に配慮しているのかわからない「遠慮」によって、ラスト一個の唐揚げは永遠と誰かの口に運ばれるのを待ちぼうけるハメになる。

かなりの確率でこうなるということは、
多くの日本人がこういった「遠慮」をすることの証明だろう。

もはやラスト一個になった唐揚げは
唐揚げの皮をかぶった遠慮の塊だ。


こうして犠牲になる唐揚げを救済する
単純明快で圧倒的に簡単なソリューションを
全人類に共有したい。

唐揚げラスト一個残る問題は
自分で食べてしまえば解決する。

元も子もない話ではあるが、
この食べるという行為も考え方によっては
最大限の配慮なのだ。


まず唐揚げがラスト一個残った状態において、全員が遠慮していると仮定しよう。

そんな状況において、
「最後頂きますね〜」
と颯爽と口走りながら唐揚げを頬張る図を想像していただきたい。

この構図において誰が不幸になるだろうか?

ほとんどの人は遠慮して結局食べることはない。

そうであれば、
なんとなく卓上に残ってしまった
気まずい遠慮の塊を処理するこの行為は
もはや救世主だ。

全員が絶妙に遠慮し合い、
グレーゾーンとかした唐揚げを食べるだけで
救世主になれる。

いまだかつてこんな簡単な方法で
救世主になることができただろうか。

もし救世主願望があるのであれば、
颯爽とラスト一個の唐揚げを食べることをお勧めする。

気まずい空気と唐揚げを処理する
メシアへとなるだろう。

さらに唐揚げ以外にも適用できるので
このソリューションが世界中に広まれば、
各地で救世主が大量発生すること間違いなしだ。


だが、もしそのような世界になった場合、
誰が救世主になるかの「遠慮」が
勃発するだろう。

つまり、
救世主に相手をさせるために
あえて食べないという選択肢。


これも世界を席巻するだろうが、
その状況を打破するのもまた
食べるという行為だ。

この行為を一文で表すならこうなるだろう。

遠慮して皆が食べない状況を
打破する救世主に相手をさせるために
遠慮し食べない状況を
解決するために食べる救世主的行為。

これも瞬く間に世界中に広がり、
再度世界各地で救世主が大量発生するだろう。


だがこれによってまた遠慮が始まり・・・

という堂々巡りになりそうなので
このどうでも良い話はこの辺で。

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