2020年 福井大学 二次試験 世界史

かっぱの大学入試に挑戦、28本目は福井大学の世界史。時代は近世・近代。地域は東アジア・ヨーロッパ。問題形式としては用語記述+論述で2題。では、以下私なりの解答と解説。


第1問 中国の近代史

問1.解答 ア:東清鉄道 イ:膠州湾 ウ:広州湾 エ:門戸開放 オ:康有為 カ:孫文 キ:光緒帝 ク:西太后 ケ:袁世凱 コ:山東 サ:義和団 シ:教会 ス:北京議定書

解説 清末の政治に関わる基本問題。アは「三国干渉」の結果「ロシア」が獲得した「敷設権」とくれば東清鉄道である。イは「ドイツ」の租借地、ロも「フランス」の租借地ということで判断。エは「ジョン=ヘイ」が「機会均等」「領土保全」とともに提唱したとなれば門戸開放宣言である。オは「梁啓超」と活躍した「変法派」といえば康有為。カは「革命派」のみで判断しなければならないが、代表的な孫文で良いだろう。キは「変法派」を起用したとなれば光緒帝、ク・ケは「保守派」で「クーデタをおこし」たのは西太后、西太后と組んだのが袁世凱である。コはやや難だが、サの「扶清滅洋」をとなえた結社の義和団が広がった地域は山東周辺である。シは本文でも「反キリスト教を掲げた」と書かれており、義和団が教会を襲ったことを想起したい。スは義和団鎮圧後に調印されたものなので、北京議定書である。

問2.解答 条約によりある国が他国の領土を借り受けること。

解説 「租借」の意味を問う問題。あくまで借り受けるのであるが、年限を99年など設定することで実質的な支配下に置いていった。

問3.解答 キューバの独立運動をきっかけにアメリカとスペインの間で始まった戦争で、アメリカが勝利し、フィリピン・グアム・プエルトリコなどを獲得し、プラット条項によりキューバを保護国化した。

解説 設問の要求は米西戦争について、原因と結果を説明すること。背景にはマッキンリー大統領の帝国主義政策があるわけだが、直接的な原因としてはスペインの植民地であったキューバの独立運動がきっかけである。結果として、アメリカが勝利し、アメリカはスペインからフィリピン・グアム・プエルトリコといった海外領土を手に入れ、その後プラット条項を押しつけてキューバを保護国化した。

問4.解答 中国の領土の安全を保つことを提唱し、アメリカが列強による中国分割に乗り遅れて、中国がアメリカ以外の列強の植民地となることを防ごうとした。

解説 設問の要求はジョン=ヘイによる領土保全の提唱の内容と目的について説明すること。内容としては中国の領土の保全であることを説明できれば良いだろう。重要なのが目的で、本文にも記されているように、アメリカは列強による中国分割に出遅れていた。そこでアメリカの経済進出のため、アメリカ以外の列強諸国による中国の植民地化を止めようとしたわけである。

問5.解答 変法派は清の政治のあり方を変えて立憲君主政の政治体制の確立を目指した運動を起こしたが、革命派は清を滅ぼし漢民族による共和政の国家建設を目指した。

解説 設問の要求は変法派の政治運動と革命派の政治運動を特徴を挙げて説明すること。教科書では分けて書かれることが多い変法派と革命派であるが、こうして対比的に捉える視点はおもしろい。変法派については本文でも書かれているが、立憲君主政への改革を目指しており、特徴としては清という国はそのままで、政治体制を変化させようとする運動であった。一方で革命派は満洲人の国である清を否定し、漢民族による共和政の国家建設を目指していた。両者とも中国の近代化の流れの中に位置づけられる運動であるが、その内実の違いについて意識しておくことは重要だろう。

問6.解答 科挙における西洋学問の導入 京師大学堂など近代的学校の創設

解説 難。戊戌の変法において導入された近代的諸制度を2つ具体的に挙げること。これが光緒新政であれば憲法大綱の発布、国会開設がぱっと思い浮かぶが(科挙の廃止は「近代的諸制度の導入」ではない)、ここで問われているのはそれ以前の、戊戌の変法での話。なかなか具体的に触れられている教科書も少ない。解答では科挙における西洋学問の導入と近代的学校の創設を挙げたが、制度としては官吏登用制度・教育制度・行政制度などが考えられる。大学の模範解答では産業の保護・育成も含まれていたが、これを具体的に説明するのは難しいだろう。

問7.解答 戊戌の政変

解説 下線部が長いのでミスリードに気をつけたい問題。問われているのは、「変法派」が改革を始めたが、西太后らによる「クーデタ」により、改革運動が「挫折」したこと。となると改革である「戊戌の変法」ではなく、クーデタである「戊戌の政変」が解答であろう。

問8.解答 清をたすけて、西洋諸国を滅ぼすという意味の、義和団が掲げたスローガン。

解説 「扶清滅洋」について説明する問題。言葉の意味としては「清を扶(たす)け、洋を滅ぼす」となる。義和団が掲げた排外主義のスローガンである。

問9.解答 オーストリア・イタリア

解説 義和団事件で出兵した列強8ヵ国連合軍のうち、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・ロシア・日本以外の国を問う問題。中国に利権を有していたメインでは無い国を問うており、単なる知識問題のようになっているのが残念。


第2問 ウェストファリア条約

問1.a:三十年戦争 b:ウェストファリア条約 c:神聖ローマ

解説 近世ヨーロッパに関わる基本問題。「17世紀前半にヨーロッパで起こった大きな戦争」から、1618年に神聖ローマ帝国で起こった三十年戦争を想起したい。その後に結ばれた「講和条約」はウェストファリア条約である。

問2.解答 プロテスタントの多かったボヘミアに対し、神聖ローマ皇帝がカトリックを強制したため。

解説 三十年戦争の発端となったボヘミアで反乱が起こった理由を問う問題。ボヘミア(ベーメン)は元々チェック人が住んでいたが神聖ローマ帝国に併合された地域であり、宗教革命後はプロテスタントを信仰する新教徒も暮らしていた。しかしハプスブルク家の神聖ローマ皇帝によるカトリック信仰の強制が行われ、それへの反抗をきっかけに反乱がおきたのである。

問3.解答 スペイン・フランス・スウェーデン・デンマーク

解説 三十年戦争に参加した、神聖ローマ帝国以外の主要国4か国ということで、ハプスブルク家として神聖ローマ帝国を支援したスペイン、新教国として神聖ローマ帝国と敵対したスウェーデンとデンマーク、旧教国でありながらハプスブルク家と敵対して新教側で参戦したフランス、という4か国が挙げられる。

問4.解答 二つの宗派:カトリック派とルター派 第3の宗派:カルヴァン派

解説 ウェストファリア条約において「帝国」の両宗派とくればカトリックとプロテスタントだが、設問ではウェストファリア条約で公認された第3の宗派も問われているので、プロテスタントについてはルター派とカルヴァン派をきちんと分けて答える必要があるだろう。

問5.解答 領邦の諸侯がカトリック派かルター派かいずれかを採用できるアウクスブルクの和議。

解説 「1555年の宗教和議」とくればアウクスブルクの和議である。内容としては、領邦の「諸侯」が宗派を選択することができ、個人の信仰の自由は認められてはいないことに注意が必要である。

問6.解答 神聖ローマ帝国内の諸侯はほぼ完全な主権が認められ、帝国内の領邦分立が決定的となり、主権国家体制が確立した。

解説 設問の要求は史料中の条項により神聖ローマ帝国内にどのような変化が起こったか説明すること。史料中の条項で重要なのは「すべての選帝侯、諸侯、等族」がそれぞれのもつ特権の「自由な行使」を「実際に妨害されえない」という点であり、諸侯の主権が認められたということである。これにより、神聖ローマ帝国の分裂が決定的となり、主権国家体制が確立した。

問7.解答 同じカトリックでありながら、フランスのブルボン朝と神聖ローマ帝国のハプスブルク家が敵対した。

解説 「有力な王朝間の勢力争い」を説明する問題。問3の参戦国を問う問題とも重なるが、フランスのブルボン朝と神聖ローマ帝国(ならびにスペイン)のハプスブルク家の対立があったことに触れておきたい。

問8.解答 ナポレオンによるライン同盟の結成

解説 神聖ローマ帝国消滅の直接的要因、とくれば1806年、フランスのナポレオンによりライン同盟が結成されたことである。ここに神聖ローマ帝国は名実ともに消滅した。

問9.解答 オランダはスペインの支配下であったが、カルヴァン派が多く、スペイン王フェリペ2世のカトリック化政策に反発し、独立しようとした。

解説 設問の要求はオランダが独立しようとした理由を説明すること。オランダの独立が国際的に承認されたのは1648年のウェストファリア条約であるが、実質的な独立は1609年にオランダ独立戦争に勝利した時である。この戦争のきっかけはスペイン王フェリペ2世のカトリック強制策に対する反発であったことを押さえておきたい。


以上で終わり。第2問はウェストファリア条約をしっかりと活用した問題でした。ただその分、問われている範囲が限定されてしまっているのが少し残念な気もします。第1問みたいに戊戌の変法について問いながらも孫文ら革命派との違いに着目するような問題はおもしろかったですね。

さて、次回はようやく母校の京都大学の日本史に挑戦です。

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