2019年 信州大学 二次試験 世界史

かっぱの大学入試に挑戦、20本目は信州大学の世界史。時代は近世・近現代の大問2題。地域はアジア・ヨーロッパ・アメリカ。問題形式としては正誤選択+論述。では、以下私なりの解答と解説。

第1問 イエズス会の創設

問1.解答 ローマ教皇のレオ10世が贖宥状の販売を始めると、ルターは95ヵ条の論題を発表してこれに反発し、宗教改革が始まった。またスイスでも予定説を唱えたカルヴァンにより宗教改革が進められ、やがてプロテスタントは北ヨーロッパや西ヨーロッパで広まっていった。こうした宗教改革の進展の中で、カトリックも勢力の立て直しを図り、トリエント公会議を開き、ローマ教皇の至上権を再確認した。カトリックによるこのような対抗宗教改革の一環として、イグナティウス=ロヨラが海外での積極的な布教を進めるためにイエズス会を創設した。(248字)

解説 設問の要求は宗教改革からイエズス会創設までの過程を説明すること。条件として「95ヵ条の論題」「贖宥状」「対抗宗教改革」「トリエント(トレント)公会議」「ローマ教皇」の語句を用いること。大枠としては宗教改革の始まり➝新教の広がり➝カトリックによる対抗宗教改革➝イエズス会の創設となる。指定語句からローマ教皇の贖宥状販売に対するルターの95ヵ条の論題から宗教改革が始まったことは説明が必要と思われるが、設問の要求はあくまでイエズス会創設の過程なので、ルターの宗教改革についてこれ以上詳しく説明する必要もないだろう。カルヴァンの宗教改革にも触れ、プロテスタントが広まっていったという事実の指摘が重要。一つ問題になるのが指定語句のトリエント公会議。イエズス会をイグナティウス=ロヨラが創設したのが1534年、教皇に認可されたのが1540年、トリエント公会議が1545年ので、時系列としてはトリエント公会議はイエズス会創設までの過程より後の話になる。しかしそこまで詳しく年代を覚えていることが問われているのではなく、後のトリエント公会議と同じく対抗宗教改革という枠組みの中でイエズス会が創設されたという指摘が重要であろう。

問2.解答 C・D・E

解説 宗教改革やイエズス会の創設は16世紀の出来事。Aはアヘン戦争の説明であり、19世紀の出来事。Bは紅巾の乱と明の建国の話であり、14世紀の出来事。Cはまさにルターの宗教改革に対応していた神聖ローマ帝国皇帝カール5世の治世の話であり、16世紀の出来事。Dはムガル帝国の初代皇帝のバーブルが16世紀前半の人物であるが(ムガル帝国のバーブル、サファヴィー朝のイスマーイール、オスマン帝国のスレイマン1世がだいたい同世代と知っておくと何かと理解が捗る)、第三代皇帝のアクバルが即位したのも16世紀半ばであることを押さえておきたい。Eはわざわざ(後期倭寇)と書いてあり、日本の南北朝時代である14世紀の前期倭寇と区別して、16世紀の密貿易者中心の倭寇を後期倭寇といったことを確認しよう。

問3.解答 イエズス会は中南米においてはカトリックの布教と植民を一体となして行い、先住民の文化は破壊されていった。一方中国に渡った宣教師のマテオ=リッチは西洋科学を紹介し、中国における初の世界地図である坤輿万国全図を作成した。清代になってもイエズス会の宣教師は技術者として重用される一方、宣教師によって中国の儒教や科挙などの文化がヨーロッパに紹介され、後の啓蒙思想家にも影響を与えた。また芸術においてもシノワズリが流行した。一方でフランシスコ=ザビエルは戦国時代の日本を訪れ、庶民から大名に至るまで信仰を広めた。(250字)

解説 設問の要求はイエズス会の宣教活動とそれにともなうヨーロッパと非ヨーロッパ世界の文化接触について説明すること。条件として「啓蒙思想家」「坤輿万国全図」「西洋科学」「フランシスコ=ザビエル」の語句を用いること。イエズス会による文化接触と聞くとまず東アジア、特に明清代の宣教師の活動が思い当たるが、語句に「中南米」とあり、こちらの視点も重要と気づかされる。中南米においてはカトリックの布教が進められた結果、現地の先住民の信仰や文化が徹底的に破壊されたのである。一方で中国においてはヨーロッパと双方向の影響が見られた。ヨーロッパから中国に対しては、西洋科学が紹介され、坤輿万国全図などの地図が造られたほか、『崇禎暦書』などの書物が残されたり、円明園が築かれたり、技術面での影響が大きかった。信仰面では清代に典礼問題が起こるが、これはイエズス会の宣教活動ではなく他の会派の動きで発生した問題であり、今回の解答では触れずとも良いであろう。中国からヨーロッパに対しての影響としては儒教や科挙といった制度の紹介により、啓蒙思想家が中国とヨーロッパの国家体制の違いを比較し優劣をつけるようになったことや、芸術面において中国趣味であるシノワズリが流行したことが挙げられるであろう。最後に日本におけるヨーロッパとの接触として、フランシスコ=ザビエルによる布教が庶民から戦国大名にまで広がったことに触れると良い。当時鉄砲なども伝わるが、最初にもたらしたのはイエズス会の宣教師ではないのでここでは触れなくても良いだろう。


第2問 キューバ危機

問1.解答 C

解説 Cが誤文。ケネディはキューバのミサイル基地建設に対して、ソ連船による機材搬入を海上封鎖で留めるなどしたが、武力行使には至らなかった。至っていたら第3次世界大戦ものである。

問2.解答 キューバ危機の後、アメリカとソ連両国の間で緊張緩和が進み、核保有国であったアメリカ・イギリス・ソ連の間で1963年に部分的核実験禁止条約が調印され、地下を除く核実験が禁止された。フランスも核保有国であり、この後中国も核保有をすることになるが、アメリカ・イギリス・ソ連の核独占に反対して先の条約には参加しなかった。しかし1968年には核拡散防止条約が62か国の間で調印され、核保有がアメリカ・イギリス・ソ連・フランス・中国のみに制限されることとなった。1969年にはアメリカとソ連の間で第1次戦略兵器制限交渉が始まり1972年に調印が決まり、平和共存路線が進むこととなった。さらに1972年にはアメリカとソ連の間で第2次戦略兵器制限交渉が始まり、1979年に調印されることになったが、同年のソ連のアフガニスタン侵攻により、アメリカの批准は見送られることとなり、平和共存の道は一旦立ち止まることとなった。(400字)

解説 設問の要求はキューバ危機から1970年代までの核兵器をめぐる国際交渉とその結果について説明すること。条件として「核保有」「緊張緩和」「第1次戦略兵器制限交渉」「部分的核実験禁止条約」「平和共存」の語句を用いること。設問の要求自体は現代史における核軍縮というテーマでよく問われるところではあるが、「キューバ危機から1970年代」という狭い時期設定のわりに要求する文字数が400字と多めで、各条約の具体的な内容まで踏み込んでいかないといけない難しめな問題。しかも語群で「緊張緩和」と「平和共存」て似たような文脈で使えてしまうものが並んでおり、なんでわざわざこの2つをそれぞれ別に指定語句にしたのか、私には意図が読み切れませんでした。大筋としては1962年のキューバ危機➝緊張緩和、平和共存路線への転換➝1963年部分的核実験禁止条約(地下を除く核実験の禁止)➝1968年の核拡散禁止条約(核保有国の制限)➝1969年からの第1次戦略兵器制限交渉(1972年に調印)➝1972年からの第2次戦略兵器制限交渉(1979年に調印するがソ連のアフガン侵攻で批准なし)という流れである。各条約の時系列をそろえるだけでなく、どういった国が参加したのか、結果はどうなったかまで踏み込まないといけないようなのでやはり難しい。なお、設問の要求は1970年代までであったが、念のためその後の動きをまとめると、1987年に中距離核戦力(INF)全廃条約締結➝1991年第1次戦略兵器削減条約(START1)締結➝1993年第2次戦略兵器削減条約(START2)締結➝1996年包括的核実験禁止条約締結➝2017年核兵器禁止条約と至るわけである。2017年の条約に関しては日本が批准していないことも合わせて押さえておく必要があるだろう。


以上で終わり。問題数は少なかったですが、案外難しかったです。イエズス会の宣教活動を中南米と中国と日本で比較する視点を今まであまり持っていなかったので、なるほどなぁと思いました。

次回は高崎経済大学が日本史・世界史を課しているようなので日本史から挑戦します。

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