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ランドマーク(5)

 わたしは屋上にいる。七月の湿った空気を押しのけるみたいに、ひょうひょうと風が吹く。校庭の土が巻き上げられて、小さなつむじ風を起こす。風にもてあそばれる前髪のあいだから、わたしはそれを見ていた。

 まったく平和な昼下がりだった。障害となるようなものはわたしの前になにもなく、歩を進めればそのうちに自然と目的地へたどり着く。そういうものだ。毎日が不審者のいない通学路。たまに道路工事があったり、AR中毒による自動車事故に遭遇したりすることはあるけど、そんなのは些細なことにすぎない。わたしにはなにも関係ない。
 部室から持ち出したパイプ椅子に座り、おもむろにキャンバスへ目をやった。つぎに、その向こうの山へと視線をうつす。何度かそれを繰り返してから、コンクリートの上に置かれたパレットとペインティングナイフを手に取った。もう下書きは済ませてある。

「なあ、海良」
「なんですか」
「授業なんだけど」
「知ってます」
「戻れよ」
「いやです」
「困る」

 先生は屋上の入り口にいるようだった。わたしは振り返らずに会話を続けているから、言葉が正しく伝わっているかあやしい。

「学校に来て授業を受けないってのはフェアじゃない」

 それが決め台詞か。わたしは閉口した。言い負かされたわけじゃなくて、むしろ逆。

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