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ランドマーク(103)

 米軍の撤退に伴い施設は閉鎖されたが、その数年後、維持管理を行っていた県から委託される形で委員会が使用することとなった。戦闘機はもちろん撤退時にすべて引き払われているため、国内各地から旧型機や練習機が輸送されたのだった。わたしの父を含め、委員会の上層部は飛行訓練に何度か立ち会った。父は実際に搭乗までしたそうだ。それは宇宙へ行くため。わたしの父は、研究者であり宇宙飛行士だった。わたしが生まれるまでは。わたしが「特別」であると分かるまでは。

 塔、つまりエレベータが完成すれば、ロケットを打ち上げる必要はきわめて薄くなる。人員も、物資も、恒常的に必要な燃料も、すべてエレベータを使えばいい。

 ではどうして、飛行訓練を行う必要があったのか。

 その先へ向かうためだ。大気圏の外側、宇宙の渚の、もっと先。藍色が深まった淵の、その先へと。

 コーヒーをください、と通信機に向かって声を出す。わたしからなにか要望を伝える、というのはおそらく初めてのことだった。もっと大胆に、母と話させてくれませんか、とか、父は今どこにいるんですか、とか、聞いてみてもよかったか。わたしはわたしがこの場において持つ価値を理解しはじめていた。分からなかったのだ。声が聞こえなかったから。わたしが市井の人でなくなってから、世間、社会‐適切なことばが見つからないが‐の間には壁ができた。わたしはわたしが必要とされる環境の中で涵養された。わたしが今までを過ごした、雑音に満ちた美しい世界と比較すれば、それはほんのわずかな期間であった。

 コーヒーは拍子抜けするほどにあっさりと届けられた。白磁の器に注がれたのは黒に近い液体。ミルクも砂糖もない。カフェオレと言っておけばよかったな、と思いながらカップに口を付ける。わたしは変わってしまったのだろうか。体液がそっくり入れ替えられたのと同じように、わたしの考え方も、好き嫌いも、ぜんぶ、ぜんぶ。

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