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ランドマーク(60)

 わたしは小さいころ、両親とよくけんかをしていた。理由は、誰にだってあるような些細なことだ。洗濯物をたたまなかったとか、夕ご飯を残しただとか。そうして勝てるはずもない言い争いに挑み(おそらく両親は争いとさえ思っていなかっただろう)、わたしは敗北した。そしてわたしは泣いた。言語では勝てないからこそ、非言語的コミュニケーションに訴えるしかなかった。さんざん声を上げて泣き、わたしはどれだけ不幸せなんだろうと誰かに向かって伝えようとした。残念なことに声は誰にも聞こえない。わたしはちゃんとわかっていた。でも、わかっていてもやめられなかった。体が耐えられなくなるまで、涙を流すしかなかった。そうして泣き疲れると、眠った。どれだけ眠っただろう。朝が来ると、頭の中には何の感情も残っていなかった。激しい嵐が通り過ぎたあとみたいに、そこにあるのはなぎ倒された草原と、跳ね回る魚たちの姿だけ。わたしは魚を集め、ごめんなさいの言葉と一緒に両親のもとへ届けた。
 これは夢の話。わたしはこうして、いやなこともくるしい思いも、まどろみの中に溶かすことで薄めてきた。そのままでは頭が爆発してしまいそうなほどうれしいことがあった日にだって。

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