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無機と有機がおり混ざる世界で、植物は何を想うのか。

青空の見える晴れた日の午後。

庭先で日向ぼっこでもしようかと、外に出てみた。

雨だった昨日は、空気も湿り、少しまとわりつくような感触があった。

晴れたおかげで、シトシトしていた空気が少しずつ乾き、心地よい環境がつくられる。

ふと、目を下に向けるとそこには枯れたと思い込んでいた低木が。

おそらくツツジだろう。

植物の身体は、木化した生命として無機質な部分と、緑化した生命として有機質な部分に分かれる。

このツツジもはた目には、木化した部分が優勢に見え、すでに生命活動を止めているように見える。

しかし、目を凝らしてみると、そこには無機から絞り出された緑が。



暖冬だった今年は、例年に比べれば暖かかった。

が、それでも寒い日は寒かった。

そんな寒い日を耐え、暖かくなる瞬間を見計らって生命を一気に吹き出す植物は、何を想うのか。


逆に、我々は何を想うのか。


植物は動けない。

とよく言われるが、実は「動かなくても良い」と言ったほうが正しいのかもしれない。

栄養を自己生産できない我々こそ、
動かざるを得ない。
可哀想な生命なのだろう。

毎日何かのために必死に動き、時にはストレスを抱え、生活に勤しむ我々と、

しっかり土台を築き、芯は変えないが、気ままに枝葉を伸ばして、必要なものを取り入れていく、植物。


はた目は枯れているように見えるが、実はうちに秘めた生命力は大きく、力を蓄え、ある時一気に吹き出し、

たたみかけるように、他を圧倒し、その場を有利に進めていく植物。


自らの分身とも言える種子を、さまざまな戦略によって、ちょっと遠くへ移動させ、少しずつではあるが、着実に勢力を拡大していく植物。





植物が何を想うのか。

というのは愚問かもしれない。


しかし、その愚問すら考えられない我々は貧しいとも言えるのかもしれない。

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