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骨董市で鳥籠を買った話

骨董市を歩いていると、不意に品物と目が合う瞬間がある。
店々をそぞろに眺めているうちに、雑然と並べられた数多の骨董品の中のひとつが急に目に飛び込んでくるあの瞬間は、正に「目が合う」としか言いようがない。
それはどんなに小さな品物でも起こり得る現象なのだ。

その時は、それが鳥籠だった。
昨年夏に東京ビッグサイトで開催されている有明骨董ワールドを訪れて、会場に入ってものの数分で目が合ってしまった。
古めかしい小さな竹の鳥籠は骨董市でもよく見られる品だが、このタイプの、金属製の鳥籠が出品されていることはまず無い。
私はよく見るために、籠に近付いた。

昭和の鳥籠

私の世代でもギリギリ幼少期に小鳥専門店で見かけることがあった、古いタイプの鳥籠だ。
両側には、青菜を挿しておく器が掛かっている。
このシンプルな作りの半透明のプラスチックは、昔から鳥を飼っている者にとっては非常に懐かしい逸品だ。
現代の青菜入れは、鳥が引っ張っても青菜が抜け落ちないように、茎にジャストフィットする穴の開いたフタが付いたものが主流だ。
また、餌入れ・水入れのベタっとした何とも言えないカラーリングも懐かしい。
こちらも現代では透明で曲線的なフォルムのスタイリッシュな器が多く見られ、こういった色味はあまり見ない。

じっくり眺めていると、店主に話しかけられた。

「どうですか、文鳥」

冗談っぽく言われたが、正しくうちには文鳥がいる。それも2羽。
その旨を告げると店主は驚き、「昭和な鳥籠ですよね。状態はかなり綺麗ですよ」と言った。

そこではたと気付いた。
そう、この鳥籠は非常に綺麗なのだ。
かと言って、デッドストックの新品という訳でもない。
止まり木には拭き取りきれなかったフンの白い跡がうっすらと見える。
ここには確かに、小鳥が暮らしていた。

むかし街の小鳥専門店に行ったことがある方は思い出してみてほしい。
どの鳥籠も籠の端々にフンが積もり、店中に濃厚な小鳥臭が充満している。そんな景色に出会ったことはないだろうか。
恐らく床に敷いた新聞紙は毎日変えているだろうが、丸洗いなどしたことは無さそうな鳥籠がほとんどなのだ。
もちろん小鳥専門店には沢山の鳥がいるので、籠の丸洗いまで面倒を見切れないから、鳥籠は消耗品扱いで汚れ切ったら新しいものに取り替えてしまうのかもしれないし、一般家庭で1、2羽の小鳥を飼っているだけならもう少し清潔にしている人もいたかもしれない。

だが、それにしてもこの鳥かごは大変綺麗なのだ。
拭きづらい底面のプラスチックには一切のシミも劣化も無く、かなりの頻度で分解・水洗いをしてピカピカに保たれていたことが分かる。
それに対して、同じように定期的に1本1本丁寧に拭き取られていたであろう止まり木の方には、よくよく見ると全体的にフンの白いシミが相当付いている。
小鳥のフンは、厳密にはフンと尿が同時に排出されるのだが、塗料などでコーティングされていない木材の上にフンを落とされると、どんなに素早く拭き取っても尿の方は白く染み付いて取れないのだ。
4年少し飼育した我が家の文鳥の止まり木も、頻繁に水拭きしているがそれなりにフンのシミが付いてきている。
が、この骨董市の鳥籠の止まり木にはその倍くらいのシミが見える。
つまり、単純計算で10年近く小鳥を飼育していた籠に見えるのだ。

これは、まだ飼育法がそこまで確立されておらず、更に犬猫に比べ命が軽視されがちだった昭和の時代の小鳥(時代的に恐らく文鳥か十姉妹ではないだろうか。セキセイインコよりも、フィンチ系の小鳥の方が主流だったと聞いている。)に天寿を全うさせた人の鳥籠なのだ。
そんな立派な昭和の鳥飼いは、住む鳥のいなくなった籠を捨てられずにいたのだろう。
そして、その籠の持ち主すらもいなくなった時に、この古物商に引き取られてここにやって来たのだ。

私は鳥籠を眺めながら、一瞬のうちにこのような背景を妄想し、涙を流しそうになった。
すると店主が、「5000円だけど、買ってくれるならおまけするよ。3000円でどう?」と言った。
私は「一旦考えさせてください」と言ってその場を後にした。

他の店を見ながら私は考えた。
この物語(妄想)の詰まった鳥籠を引き取って、後世までだ大事に受け継いでいきたいという思いはある。
だがしかし、大切に育てられた小鳥は世界中にいる。我が家にもいる。
見ず知らずのよその子の鳥籠を引き取ったとて、どうすると言うのだ。

そのようなことを逡巡していると、私の脳内に何者かが直接語りかけてきた。

「一旦買ってからどうするか考えてみては?」

それだ! と私は思った。
市を一周して最初の店に戻ってくると、果たして鳥籠は未だそこにあった。
店主が笑って、「じゃ、3000円ね」と言った。
一抱えほどの鳥籠が入る袋が無いので、IKEAの袋に入れてくれた。

袋を肩に掛けて歩くと、中で鳥籠の金属がガチャガチャと鳴った。
その音が、小鳥が人間に何かを要求したり遊びで鳥籠の扉を齧ってゆする時の音にそっくりで、私は居もしない小鳥の様子を確かめるように、何度もそっと覗きながら帰路へついたのだった。

この型のプラスチック製水浴び器は初めて見た


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