私は自分の将来をAIにゆだねるのか
AI、人工知能は今や生活に欠かすことのできないものです。AIは私たちの世界に革新と急激な進化をもたらし、今なおとんでもないスピードで進化し続けています。
私は恥ずかしながら、AIについてこれまで深い考察を行ったことはありませんでした。生活を便利にする物という漠然とした定義を当てはめ、漫然とその恩恵にあずかっていましたが、これから社会人になるという節目に、無視のできないトピックであると思い、私なりに考えたことを文章にしました。人工知能研究の第一人者、ジェリー・カプラン著の『人間様お断り―人工知能時代の経済と労働の手引き―』という本を参考にしています。
AIはどのように職を奪うのか
今から5,6年ほど前にオックスフォード大学が発表した論文の中で、あと10年のうちに「消える職業」と「消えない職業」が話題になりました。日本においても、株式会社野村総合研究所がオックスフォード大学の研究者達との合同研究によって、国内601種類の職業について、それぞれAIやロボット等で代替される確率が試算されました。それによると日本はおよそ49%の労働人口がAIなどに取って代わられるとみなされています。では実際にどのようにし職は奪われるのでしょうか?
AI研究は2方面での研究が進められており、1つは労働機械、もう1つは合成頭脳と筆者は述べています。
労働機械とは文字通り、労働の際に使うときのロボットのような物を指します。農業などをイメージするとわかりやすいかもしれません。センサーなどを用いることで、視覚、触覚、聴覚を備え、周囲の環境に働きかける機械達は、ブルーカラー、主に技能労働者達の職を奪うとされています。
一方、合成頭脳とは経験から学習する能力を持つシステムのことを指します。ここでいう経験とは、集められたデータのことを指し、合成頭脳は集められたデータや統計、例などを集積して最適化する能力を持っています。例えば電車検索やマップ検索がその例です。こうした合成頭脳は、ホワイトカラー、頭脳労働者の職を脅かすとされています。
人>AIの分野
では逆に人ができることは何でしょうか。
著者であるジェリーはAIと人間との差別化において、人間には意識があり、客観的な経験と感情を持ち合わせていて、新たなアイデアを哲学的、科学的に創造することができると述べています。
イギリスの人工知能研究者であるデミス・ハサビスによれば、人にしかできないことは創造とリーダーシップであるとされます。AIは0から1を、作り出すことはできないし、人間がロボットのリーダーに従うことはないというのです。
こうした専門家達の意見を参照して、人がAIよりも優れている点をまとめるとこのようになるのではないでしょうか。
―創造 新しい物を作り出す
人の領域 ―共感 感情に寄り添ったコミュニケーション
―判断 最終的な決定権(手綱を握る)
この3点の中、とくに創造については異論がありません。AIは常にデータを元にしてプログラムされたことを実行するものですから、人間のように自ら考えついたアイデアの元に行動することはできません。
それ以外の2つ、共感と判断においては少し疑問が残ります。例えば先ほど挙げたオックスフォード大学の論文で、「高い対人スキルや説得力の必要な仕事」は自動化されそうにない仕事の条件としてあげられています。人を説得するためには共感力がないとだめだと誰もが思うでしょう。しかし商談の場面を想定したときに、説得においてAIが得意とするあらゆる統計やデータの最適化ははっきりとした強みではないでしょうか。効率的に間違いのない方法を探し出し、提案してくれるのであれば、それは人でなくても良いのではないでしょうか。
判断という場面においても、例えば医療の現場において、症状や病気の例などのデータをたたき込んだAIのほうが、効率的かつ正しい診断を下せるのではないでしょうか。実際に試験的にAIを活用した診断を実施している医療機関も世界にはあるそうです。
しかし私はこの共感と判断こそが、AI時代において人が担わなければならない分野であると思います。
共感 ―「それな!」と相づちを打つAIは生まれるか?―
「それな」
気軽に相手に共感を示す、主に若者を中心に使われるようになった言葉です。私も仲の良い友達同士では使うこともあります。相手の言葉に対して共感の意を示すこの言葉、人間のようにAIに言わせるのはなんてことありません。しかしAIの言う「それな」には共感の背景はありません。なぜなら共感したと思うに至った経験というものがAIには持ち得ないものだからです。
一方、こういった共感という要素をAIにも備えさせる試みとして、MIT教授のロザリンド・W・ピカード氏が、アフェクティブ・コンピューティングという分野を研究しています。
アフェクティブ・コンピューティングとは、人工知能分野における感情処理研究のことで、「人における感情を認識・解釈し、その情報を更に利用し、感情に適した応答を与えるシステムおよびデバイスの開発を目標」としています。
2つの研究領域が存在し、1つはセンサーなどでユーザーの感情を読み取り解釈する、感情認知・解析分野、
もう1つは、人間における感情の経験をモデル化し、それをロボットに導入することで、感情を持ち更にそれを表現するロボットの開発を行う、感情合成・シミュレーションの分野です。
前者は表情の動きを読み取って感情を推察するシステムや、汗や脈拍の状態から感情を理解するシステムなど様々な角度からの研究が進められていますが、後者は思うように進んでいません。人間の感情の経験をモデル化するにはサンプルが足らず、人によって異なる感情の機微を科学がまだ十分に説明できないという事実がその原因としてあげられています。人の感情を真に理解するAIの登場はまだ先の話になりそうです。
先に例に挙げた商談というシチュエーションを、共感を持ち得ないAIが相手ということで、もう一度考え直したいと思います。
例えば商談相手が経営の傾きかけた企業の社長だったとします。事業計画書を持ってきて資金援助や協力を必死にお願いする社長を見て、AIがはじき出す答えはほぼ100%の確率で「NO」でしょう。合理的・効率的を信条とするAIにとって、経営が傾きかけているということは自分たちに何の得にもならないことだと一瞬で判断するからです。そこにもしかしたらビジネスチャンスが潜んでいるかもだとかそんな予測は関係なく、ただ目の前の事実から基づく見解を即座に出すのがAIというものです。
もちろん人間がこの商談を受けていたとしても、「NO」と言われることはあるでしょう。しかしその可能性は100%ではありません。そもそも確率ではかることはできないかもしれません。それは人によって共感の幅が違ってくるからです。この社長の一生懸命さに共感し、しっかりと話を聞くことで、事業を立て直す計画を練る。そうしてもしこのビジネスが成功したら、AIにはどうやったってできなかったことを人間が成し遂げたと言えるでしょう。
ビジネスにおいて得や効率的と言う言葉は魅力的な言葉だとは思いますが、それだけでは見つけることのできない物が実際にあると言うのも事実です。人だからこそできる共感を武器にすることで、AIができないことを実現していけるのだと思います。
判断 ―「PSYCHO-PASS」の世界から考える自分で判断するという尊さ―
日本のオリジナルテレビアニメの素晴らしい作品の一つに「PSYCHO-PASS サイコパス」というものがあります。
未来を舞台にしており、ひときわ特徴的なのが、巨大監視ネットワークによって人々の感情や欲望、心理傾向が記録・管理されているという点です。この解析によって魂の判定が可能となり、恋人適性、職業適性、最終的には罪を犯す可能性のある人間・潜在犯の特定がシステムによって行われているのが「PSYCHO-PASS」の世界です。
この巨大監視ネットワークというのが、AIのようなもの(厳密には少し違いますが)と考えると、職業適性や恋人適性というのは現代でも盛んに行われており、なんとなく通ずるような感じがします。しかし「PSYCHO-PASS」の世界においては、このシステムが出した答えがそのまま自分の将来であるという感覚が通念になっています。要は誰もなりたい職業なんて考えない世の中なのです。システムが適性と判断するから自分は将来そうなると誰もが思う世界、システムの判断に自身の全てをゆだねる世界が描かれています。
誰もシステムの判断の正当性や意義を問わない世界はなんだか他人事ではないような気がします。就活で誰もが使ったことのある「適性職業診断」は、信頼性が高まれば高まるほど、使う年齢が低くなっていき、小学1年生が自分の適性をそこで決めてしまうこともあるかもしれません。「恋人適性」においても、その信用性は今後ますます高まり、AIが相性が良いと決めた相手を運命と信じ抜く女子高生も出てくるかもしれません。
そこにはAIの判断を信じるという行為だけで、自分自身で思考することは含まれていません。人は意識を持ち、自ら思考することができる生き物であるというのに。
自分で判断しないというのは恐ろしいことです。例えば先で出した医療現場におけるAIの例を再び考えてみます。AIがこの患者はこういう症状が出ているから○○という病気だと判断したとします。AIが判断したのなら間違いないと、信用しきっている医師が確認もせず自分の判断も下さず患者に治療を施したところ、実は違う病気だとわかり患者を死なせてしまったとします。この責任はどこに向かうのでしょうか。もちろん医師に向かいます。今現在AIに責任を追及する法律はありませんから。
私たちは便利な道具を使っているに過ぎないことを自覚しなければなりません。AIで得られたデータを道具とし、思考しなければなりません。その思考の過程でアイデアが生まれたり、解決策が生まれるのです。AIに1から10まで処理させるのではなく、お客様にはどの案がふさわしいのか最終的に決めるのは人間でなくてはいけません。
AI時代に人である自分が活躍するためには
就活のときに私はあるリクルーターの方に大変お世話になりました。誰にも言えなかった不安を解決し、私に最適な解決策を提案してくれたのは紛れもなく一人の人間でした。私に共感し、だめなとこをきちんと指摘して、その方自身の判断で私のやるべきことを導いてくれたその方を、私は忘れることはないでしょう。
この方のような人になりたいと心から思います。いくら便利な世界になろうと、人の心を動かすのは人やその言葉であるべきです。
自分も誰かの心に共感し、その人にとっての唯一になれるような、そんな人間になりたいなと思います。
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