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了解なんて、言わないで。

知識が増えるということは、時に不便になることだと思っている。

何も知らなければ済むことでも、その知識があるせいで妙なところで引っかかってしまう。
つまりはノイズが走り、ストレスがかかってしまう。

(芸能人の不倫をノイズと考察した記事です。、こちらもよかったら)




例えば、食に関する知識を得た場合。

腸活を考えた時、小麦製品の話は切っても切れない単語だ。
小麦に含まれるグルテンを摂取すると腸管にグルテンがこびりつき、どんなに他の良い食材を食べてもうまく吸収されない。

そういった理由でグルテンフリーの食事が好まれる。

しかし、グルテンフリーの食事を目指そうというのは現実的に考えて難しい。

パン、うどん、お好み焼き、ラーメン、ハンバーグなどなど。
できるだけ摂らないでおこうと考えても、小麦は日常生活に溶け込んでいるのだ。

とはいえ、グルテンはダメだという知識は持っているので、毎食の度に「うわっ、これ小麦入ってるやん」と思ってしまう。

今までなら、うまいうまいとムシャムシャ食べていたのに、知識が入ってしまったせいで余計なことを考えてしまう。
言葉は悪いが、馬鹿なままなら、ただただ何も考えずに食事を楽しめたはずなのに、だ。

食事は一日3食経験するから毎食の度にこの感情が湧き上がってくるからなかなか厄介だ。

しかし、これと同じくらい厄介な知識がある。

それは言葉だ。

文章を書く上で、ある程度の適切な言葉遣いというのは普段の生活から気に掛けるようにしている。
なので、できるだけ誤字や誤用は使いたくないし、使っている人がいたら気になってしまう。

だけれど、この気になってしまうというところに、いささかのストレスがかかっている。

いちいち、指摘すると「めんどくせぇ奴」と言われかねないから黙っておくが内心は言いたくてしょうがない。

「的を得る」と使用している人には「的を射る」と訂正したくなっちゃう。

食事であれば、自分が意識的に「朝食は2日に1回、パンはやめとう」とかできる範囲での制御は効くが、他人の言動というのはなかなか指摘しにくい。

「的を得る」という言葉は日常的に使用頻度が少ないのでまだマシだ。
もっとストレスがかかる言葉がある。

それは「了解」だ。

相手に自分の意思を伝え、その返答にくる言葉、了解。

了解という言葉は本来、自分より目上の人に使ってはいけない言葉だ。
なので、自分より年下の人や自分より立場が低い人から「了解」と言われると無性に腹が立つ。

本人としては、その知識を知らないから悪気はないのかもしれない。
しかし、こちらとしては「了解」と言われる度にいちいち気に障ってしまう。

何も知らなければ余計なストレスがなかったのに、知識があるせいで今まで考えなかったストレスを抱えてしまう。
これは困ったものだ。

じゃあ、了解という言葉を使わずに相手に自分の意思を伝えるためにはどうすればいいか。
「かしこまりました」と言うと相手への距離が生じる。了解のフランクさを保ちつつ、相手にわかったという認識を相手に伝える方法を僕はこう考えている。

それは、

「オッケーです」

僕はオッケーという言葉を多用している。オッケーなんて言葉は上も下もない。フランクだし、とても使いやすい。

日本語は素晴らしいと思う一方で、日本語の難しさも知っているつもりなので、時々日本語から逃げて、多言語とうまく調和するのも日本人の素晴らしさだと思っている。


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