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内向的って日本の文化らしい。|59

考えるということはどうゆうことだろうと59note書いて思っていた。

考えるということで、3つ軸がある。
・知識(情報量)
・機転(対人対応)
・考える

私は物知りだ。えっへん。でも言葉を説明してと言われるのが苦手だ。これはHSPと知ってよく理解が深まった点だ。

なんでかなと思っていたんだけど、HSPの思考性の癖があるのだと気づいた。実用的なもの(役に立つもの)に興味を示し、ただの意味定義にありまり興味を示さない。誰かにお勧めするのは言葉を砕いて説明できるけど、自分の何かを聞かれて返答する時には、逆に説明が遠回りなことがある。

自分とは関係ない興味のあることは教えるは得意だけど、
暗記や自分の事柄を説明するのは本当に苦手。

これも転機(対人対応)に関係してくるけど、一方的になにかを教えようとされるスタイルはあんまり向いてない。どうしたいのか全体を先に教えてもらってから、自分の材料でやる方が効率がいいし、理解も深まってる。ちゃんとやる手順も含めて評価をもらうところはそんなに向いてない(というかそんな簡単なことも深読みして間違うことさえある)。
(最近、働き始めたから、職場という設定)

知識(情報量)+機転(対人対応)=考える

知識(情報量)は機転の効率化のために必要。選択は考えること。

機転(対人対応)は言語としても用語としても態度や言い回し。表現を考える。

これを書くこと、話すこと、聞くことに応用して「伝える」に転換してる。

もっぱら私のnoteでは「伝える」よりも「自分の説明」として使っている。

外界に「伝える」のも大事だけど、順番としては「自己理解」が先にないといけないだなと最近思うし、あまりそれを育てる教育環境が日本にはなかったなと振り返る。

「内向的」というのは日本の文化的なものだと書いてる本があった。

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森省二さんの「正常と異常のはざま」という本だ。(一円ですか。。。)

日本人は、個よりも集団を優先し、集団を形成することで個の確立をはかるという傾向を持っている。(文中より)

集団の規範をあたかも「自分」としてあるように生かされる傾向は、自分自身の乖離に繋がって、無能感や自責感、感情反応を引き起こしやすく、鬱に繋がりやすい。うつ病の多い国、日本の出来上がり。

今日のこと|これか、海外に行って帰ってきたら日本が異様に思えたのは。洗脳に近いくらい自身に呪いがかっている。考えることは素晴らしいけど「自己理解」から考えようとすると、この壁はみんなに立ちはだかってるきがする。

会社の人も親切なんだけど、やりづらいなと思って思った以上に自分は落ち込んでた。日本人の親切は的がズレてる。同じように私扱いづらいなと思われているのだろうけど。

HSPの記事にいいねいただけたら、ますますHSP研究したいと思います。まだ新しい分野なので。正直生きるのに本業で精一杯なので、みなさまのサポートがあれば追求大いにがんばります。