美しさって何?

突然ですが、私は現在二重まぶたです。これは埋没整形で作られたものです。何故整形したかと言うと、普遍的な美の価値観(ここでは二重=美)に取り憑かれて二重にしなきゃという思いからです。しかし私は今、一重まぶただったときに戻れたらきっと整形しないだろうなって思います。まず私のビフォーアフターをみてください。

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1枚目が埋没前、2枚目が埋没後(現在)です。元々一重なのに目が大きく、うっすらと線が入ったまぶたであったこともあり、そこまで印象がガラッと変わったわけではないですが二重でぱっちりした目が美という価値観においては普遍的な美しさに近づいたと言えます。ですが最近私は思うのです。"一重の時の方がクールビューティ感あってよかったのでは?" と。これも美の価値観に振り回されていると言えますが、二重にすると決めた時、元の自分の顔への愛着とか、人それぞれの違った美しさとかそういうものをまったく考えていませんでした。その結果が今の顔です。しかし後悔しているわけではないんです。その時の私にとってはそれが最善の選択だったし、美への考えが変わった今では今の顔もこれはこれで良いし大事にしていこう、自分の美しさを普遍的な価値観に当て嵌めずありのままで愛していこうと思えていますから。

さて、自分の経験の話ばかりしてしまいましたが、美の価値観について意見を述べていこうと思います。現在の美しさとは、一般的に日本でよく言われているのはバランス的な"黄金比"の他に"目が大きくて二重まぶた"、"鼻筋が通っていて小鼻が小さい"、"唇が薄すぎず厚すぎず、輪郭の整った形"、"中顔面や人中が短い"などがあります。その全てを私は肯定します。世の中で実際に求められているものであるし、それを好むのも何ら問題はありません。ですがそればかりに囚われて自分の持つ美しさに目を向けられない人の何と多いことか!二重じゃなくても、鼻が低くても小鼻が大きくても、唇が薄くても厚くても、美人と言われている人はたくさんいるし、そもそも他人から言われる美しさに依存しすぎて自分を愛せていない人(特に女の子)が多すぎます。私はどんな顔立ちでも身嗜みをある程度ちゃんとして自信を持てていれば(自分を愛せていれば)美人と言えると考えています。綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、美人とは纏う雰囲気が魅力的な人のことを指す言葉だと思います。私も一般的な美の価値観に照らし合わせて整っていると言える人についつい美人と形容してしまうこともあります。でも、美人と他人から形容されなくても、黄金比や一般的な美しさに当て嵌まらなくても。自分が自分を愛せているなら、自信を持てているなら、自分を大事に思えているならそれだけで皆美しい。やっぱりこれって綺麗事でしょうか。でも、私は1人でも多くの人に自分の容姿や人格全てを大事にできるようになってほしい。もちろん自己肯定感をあげるために整形を選択することを否定しません。むしろそれで自分を愛せるなら賛成です。自分の求める可愛さや美しさに近づくことは悪いことではないので。でももし、整形するなら自分の元の顔への愛着とか、自分だけが持つ魅力とか、そういったことについてもよく考えてから行動に移してほしいと思っています。以上です。

私の美しさに関する考えをつらつらと並べ立ただけなので内容が若干ぐちゃぐちゃですが、これを読んだ人や読んでない人も、少しでも自分の顔を愛せるように、容姿も内面も全て自分自身を愛せるように祈ります。皆存在しているだけで美しいんだよ。