僕と私と理想と本音。 (6/11)


指をパチンと鳴らせば
目を開けていられないくらいの光
反射的に閉じてしまった目を
少しの緊張感と戸惑いの中、
恐る恐る目を開ける。
心を揺さぶられるほどの感動や
手を伸ばしてみたくなる興奮や
純粋な胸のときめきは
いつしか魔法のように
儚く消えてしまうのだろうか。

はいはい、どうもね。え、、何、今から話そうとしてんじゃん。いやぁ、今から?いーや無理だね。この時間は無理だよ、そのテンションじゃねぇもん。、、、え?何 今日不思議の国の郵便局お休み?えーーー無理じゃん。業務出来ないねぇ!じゃあ!


、、、いっ、痛いってば、引っ張りなさるなよ。腕を!!いや、服ならわかるけど 腕は!!!人体!!!あんだーすたんっ!?



いいのよ、分かってくれたら。で?無理じゃん書けねぇじゃんよ。うん?他の人でもいいの?あ、そう、いいの?分かった。書くから!はい!だから!さっきから掴んでる腕を離せぇぇ馬鹿力ぁぁぁぁ!!!!


、、、ふぅっ。あぶねー、今朝牛乳飲んでなかったらポックリ逝ってたよ。感謝しろ、牛さんに!!はいはい、それじゃあね。ちょっと失礼して。

「シンデレラさんのとこの魔法使いさん

こんにちは!ご機嫌いかがでしょうか?シンデレラさん元気そうですか?あの、、魔法って、
(いやこの質問本当に聞くのあれだなって思ってさっきも会議してたんですけど)
魔法って、僕あの使えるようになりますか、?
「勇気と優しさを忘れなきゃ大丈夫」って。僕それだけは大事にしてきてるつもりなんですけど、やっぱり大人になるにつれて忘れちゃうものなんですか、?シンデレラみたいに素敵な大人になるには、やっぱり小さな幸せ紡ぐことと、ちょっとした魔法が必要です? ちょっとした自分を信じる心が魔法、なのでしょうか、?
ありたい自分、なりたい理想。いつかお城で素敵な笑顔でお会いできる日を楽しみにしてます!お身体に気をつけて、、馬車いつか乗せてください。笑
                                       愛を込めて」


気がつけば、周りの人から
「もっとこんな風にしなさい!」とか「可愛いよ!」という言葉が少し苦手だった。



外見や、その人の価値観の枠で自分が強引にはめ込まれているような感覚。
とりあえず、好意はありがたく受け取っておいて 「ありがとう」と感謝の言葉を返す。

言葉というのは、とても純粋で、複雑で
優しくて、暖かくて、時に残酷だなと思う。



人それぞれ価値観があって、世間的には誰かが言ったポジティブな意味でも 誰かにとっては苦い思い出が混じったビターな思い出を引き起こしてしまうかもしれない。

エスパーでも超能力者でもないから、「貴方を完全に理解してるよ!」なんて言えないけれど。



でも、でもやっぱり僕らは

誰かに分かって欲しくて

この感情を誰かに届けたくて

大切な人と笑いたくて

その幸せを感じたいだけだと思うんだ。こんなの一方的かもしれない、わがままだとは思うけれどね。

けど、最近雨が降ってるこんな日には
現実からちょっと浮世離れして心の奥が
誰もいない静かな海みたいな 静寂を感じる時がある。

僕は、私は、どんな人間なんだろう。


そもそも、一人称も面倒な気がする。
本当は僕の方が、楽だし気持ち的には落ち着く。けれど、世間的にはこうした言葉は未だに聴き慣れないし どんなに分かり合えている人だと感じていても この世界では口に出して会話することは難しいだろうな。とも感じている。

引っかかってしまうだろうから。
僕 というたった2文字に色んな感情や常識が交わって 本当の、今まで接していた自分とは違うように思ってしまうだろう、とその困惑させてしまう表情を思い浮かべると やっぱり当たり障りのない言葉で表現した方が 合理的なのかな。と思ってしまう。そんな風に考えるのは「逃げ」なのだろうか?メガネやコンタクト、髪の色みたいに自由に変えられたらいいのにな。なんて思う言葉のひとつ。でも、この現実でその言葉を発せられない僕の意気地なしさもここにあり。ある意味この画面に映る僕は、もう1人の本当の自分自身なのかもしれない。

外見もそうだ。
なんかそういうことや現実に ごちゃごちゃとした感情が邪魔をして、髪をガッサリ切ったことがある。中性的だねと言われて個性的だと、
「貴方らしいし、似合っているよ」と優しい声をかけてくれた周りの人は、本当に信頼している人ばかりだから。とても心地が良い。
けれど、髪が長くても 色が変わっても その人はその人らしい個性や価値観があって。


そんな性別とか常識とか飛び越えた世界に
みんなが優しくて その人の個性を見てくれる
そんな不思議の国のような世界に行きたいと願うばかりだ。

学生時代の制服も、本当は違う形のものを、着たかった。だからなるべく校則が自由なところをさがして通った。でも、当時は無意識的なものではっきりと自覚したのは2.3年前くらいのことだ。妙に納得してしまった。共感で目からウロコってこういうことか、、と思ってメガネをくいっと指で押した。


僕は、私は、
自分がなりたい理想とか 生きたいような自由を
ただ ワクワクすることに向かって
毎日楽しんで進みたいだけなんだ。
周りの人も自分らしく 笑っていてほしい。
シンプルに、単純な、自分を飽きさせないための目標。


けれど、それだけじゃ生きていけないから。
人は何かを提供して 利益を得て お金を貰って
新しい自分のための幸せへ貯金してくんだ。


自分は何が提供できるんだろう?


自分の価値とは何だろうか?


人の良いところはたくさん見つけられる自信はあるのに、自分を客観視したところで その前提にある「当たり前」が不透明でボヤけていて上手く掴めない。
中身は いい奴だと思うんだけどなぁ、、

そんなことを考えながら、
もう外の雨は止んだかな。
椅子の上で体育座りしてたから、
ぐーっと両手を伸ばして体を伸ばす。
あっ、右足血が回ってないや、これもうすぐ痺れるやつだなぁしまった、、なんて考えながら
両足の指をぎゅっぎゅっとグーパーする。

ふぅーっと身体中の空気を一息に吐いたら
目の前に映る写真。
どれも笑っていて、緊張が混じった硬い顔。
でも、何かに憧れて 近づきたいと思って
勇気を持って一歩踏み出して、歩んだ証拠だ。

いつか 心からの笑顔で笑えるだろうか。
こんなに毎日が幸せだと胸を張って
自分を誇りに思えるそんな未来が、
憧れの人のように。曇りない明快な眩しさで
訪れる日は 近いだろうか。

2020.6.11

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