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被害者として受け取るか、選択肢が増えた喜びとして受け取るか〜愛しかなかった〜

昨日夫と、少し早めの私のお誕生日プレゼントを買いに行きました。


夫は私の欲しいお財布を買うことに喜びを感じ、楽しみにしてくれていました。


そして、私の好きなマザーハウスのお財布を購入してくれて私も嬉しいのですが、私には夫の方が満足しているように見えました。




①なぜ私は夫といると被害者的な気持ちになることがあるのか?


夫はとにかく自分の意見を言うのも行動も早く、次にどこにいくか、何をするか、どこで休むか、スピーディに決めては次々に動いていきます。


自己主張が当たり前、リーダーシップがある、と言う意味では夫の特性は良いのかもしれませんが、夫よりスローペースで、自分がどうしたいのか何が欲しいのか何を食べたいか、秒単位で次々になんて自分の気持ちは出てこない私には、夫のペースが早すぎて疲れてしまうことがあります。


さらに私は無意識に相手に合わせてしまい、行動力も量も多い夫と一緒にいると、気づけば私だけがひとり疲れている、ということが今までもよくありました。


本当に意見がないのならいいのですが、私は意見があるくせに、相手の感情を読み取ると自動的に相手の意向に合わせようとしてしまい、自分の意見を言うことを忘れがち、躊躇してしまいがちな私の内側では、たびたび葛藤を起こしていました。


昨日は「ビールを1杯どこかで飲んで休んでから帰りたい」という夫の希望通り、5時過ぎるとカフェからすぐにお酒が飲めるお店に入った途端、あまりのお店の混雑と騒々しさに、「あー、このままでは私は被害者になってしまいそう!」と夫に、自分の今の心の内側の状態を、自分で確かめるように話しはじめました。


②選択肢を増やすための提案という夫の発想。


夫は落ち着いた雰囲気で、


「あなたが人の影響を受けやすい、決められない、迷いやすい人だというのがわかっている。

私とは真逆だからね。

だから、私はこういう選択肢もあるよ、と提案しているだけ。

その提案にあなたは乗ってもいいし、乗らなくてもいい。

あなたの選択肢を私は増やしているだけだと思っている。

夫の提案にひとまず乗ってみる、というのもいいと思うよ。

なぜなら、それが嫌だったら、次からそれはやらないようにすればいいだけだし、あなたがひとりで考えてとる行動よりは、幅が広がったり、体験が増えるのは間違いないからね。

私はあなたに選択肢を増やせることはいいことだと思っているから。」

と涼しい顔で言う。

どんどん動きたい、決めていきたい夫にとってそれは楽よね、と思いながらも、

「あっ、本当だ!」

とハッとしました。


「周囲の大人に自分の意見を聞いてもらえなかった。大人の意見をひたすら聞いてそのとおりに動くしかなかった」


その小さな頃に傷ついた体験をデフォルトにしてきた私には、「どうしたい?」と意見を聞いてもらえずに事がどんどん進むと、その哀しみ、絶望がふと顔を出し、被害者の立ち位置にスッとはいりそうになります。


私は「どうしたい?」と聞かれないと意見を言えない、言わなくていいという受け身の姿勢、私の意見を本当は聞いてほしかったという期待を持っていた子どものときの欲求が、そのまま私の内側には存在していました。


その欲求を待ち続け、待ち望んでいた小さな子どもが、私の内側にいることに気づきました。


それをいまの私が理解して癒していけば、それは私の過去に起きたことやり方なだけで、今の私が採用する必要がない。


③選択肢が増えている喜びとして受け取る。



「私が傷ついているところを癒してください。」と聖霊に委ねる生活をしていたならば、夫の言うとおり、どんどん意見されることに対して、「私の意見を聞いてもらえない」と被害者として受け取るのではなく、「選択肢が増えている喜び」として受け取れば、そこには「愛」しかなかったのです。



私は夫の意見を「愛」ではなく、「愛以外のもの」として受け取っていたから、被害者になりそうになったのだ、

と気づきました。



私は奇跡のコースを学びはじめてから、


すべては「愛」しかない


ということを知り得ました。


こんなふうに「愛ではない」と思っていたものを「愛」として受け取れることこそが、「奇跡」なのかもしれない、と今感じています。


この私の気づきが、どなたかの「愛」を見直すきっかけにもなればとても嬉しいです。


今日もお読みいただきありがとうございます。



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