癒しとは、悲しみを感じ尽くすこと
人のことはよく見えるのに、自分のことはなかなか見えていないものだ。
今日の朝、ふと自分に対してそう思いました。
私の身近な人に不幸があり、その人の、こちらが圧倒されてしまうほどの深い哀しみが、少しでも癒されていくことはできないだろうか、と思い、グリーフケアを学んでいる方に連絡を取り、アドバイスをいただきました。
その言葉が、当事者にも、私たち周囲の人間にも思いを馳せてくださる、思いやりに満ち満ちた、温かい言葉でした。
こんな言葉をかけてくれる人が、こんなふうに寄り添ってくれる人が、かつて深く私自身が傷ついてどん底のときにいてくれたら、どんなによかっただろうか、と、思わず思ってしまうほどでした。
それと同時に、そのアドバイスが、私も状況は違っても、上がったり下がったり、長い時間をかけながら、レジリエンスを高めてきたのだなあ、と感じました。
そして、私自身が、いや正確に言うと、私たち夫婦こそ、お互いに喪失体験を抱えているもの同士でした。
私たち夫婦の体験は死別ではなく、離別である。
いつか再会できる日がくるかもしれない。
そんなふうにして、本当は心の奥底にはしっかりといる、哀しみ、寂しさ、孤独、愛しさ、を蔑ろにして生きてきたのではないか。
痛みを、死別に比べたら、大したことではないのだから、と軽く見積もってきたのではないか。
私ひとりでは気づけなかったけれど、いつでもお話しください、とその方に言っていただいたとき、あ、私も、まだそこに対するケアが必要なのか、とハッとしました。
ただ、私は、夫よりもその哀しみと向き合ってきました。
たくさんの涙をセラピーの中でも流してきました。
私の夫に限らず、男性は、まだまだ男たるもの、哀しんではいけない、泣いてはいけない、と自分の感情に自分自身がブレーキをかけていて、その哀しみを紛らすように、仕事に夢中になったり、お酒を飲んでいるのではないか、と感じます。
本当は、男性にもセラピーが、悲しみ尽くすことがとても大事なのに、と日々、他の男性をみても、私が感じとっているところでした。
そんな折、セラピーの学びでもご一緒している、キネシオロジーのセラピストであるさなえさんが、こんな文章をあげていました。
まさに、私自身にも、また、たくさんの悲しみ感じ尽くしていない方にも見てほしいと思い、ここに紹介します。
誰もが、自分の感情を感じ尽くし、癒されますように。
また、癒されればこそ、だれかを本当の意味で助けることができますように。
癒しを体験してこそ、新しいやり方で、本当の喜びに満ちた、豊かな日常を送れますように。
願ってやみません。
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