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コロナにかかって気づいたこと〜過剰に責任を取らなくていい〜


1週間前、コロナに感染しました。

私は10年ほど前から、「ひえとり健康法」という進藤義晴先生という耳鼻科の医師が、病院も薬もいらない、と提唱した健康法を生活に取り入れるようになってから、そのやり方でずいぶん、薬、病院通い、を手放してきました。

①20分以上の半身浴
②シルク、ウールと交互に4枚以上重ねて靴下を履く
③就寝時は湯たんぽを使い、とにかく下半身を常に温める

やり方は基本的にはシンプルです。

が、ここ1年ほどすっかりそのやり方から離れていました。

きっかけは、長時間の半身浴は、骨盤を緩ませすぎ、身体にかえって良くない、とある先生から指摘されたこと、靴下を何枚も履くと、足元がスッキリせず、なかなかおしゃれをしにくいんだよなあ、と、だんだん私の気持ちが離れていっていました。

要は、私の身体が元気になればこそ、10年やってきたそのやり方に、もうそろそろいいかな、という、緩みもあったのかもしれません。

が、特に、そのような毒出し法で予防もせず、夫の会社で、休みの人のフォロー、先に発熱した夫のフォロー、合間の休みに、夫の遊びに付き合う、を勢力的にした先週、あっという間に、私だけコロナにかかっていました。

先に発熱した夫は、ただの風邪でした。

2日間、高熱を出し、熱が下がってから、いよいよ咳や喉、激しい倦怠感やめまい、身体の痛み、などに苦しみながら、振り返っていたのは、私は自分主導で動いていなかった、でした。

会社で休んだ人が開けた穴埋め、夫が開けた穴埋め。どれも、私が動きたくて動く、というより、大変!穴が開いてしまう!他の会社や人に迷惑をかけてしまう、急いで埋めないと、と危機感に駆り立てられて、私は動いていました。

が、気づけば、この私の動き方は、幼少期からのスタンダードな動き方でした。

母と祖母の溝を、母と父の溝を、ひたすら危機感から埋めに走り、本来小さな私が負わなくていい責任をとるべく、日々奔走していました。

私は、もっと子どもらしく、自分のことに夢中になる子ども時代を送ってよかったのですが、周囲の大人たちこそ、子どものままなので、子どもに大人の役目を、責任をとらせていても気づかない。

そうして、守られない子ども時代を送ってきた私は、いまだに、あらゆるところで過剰に、自分の範疇ではない責任まで負おうとしてしまいます。

他人が開けた穴、を私が、強い危機感を持って埋めに走らなくても良かったんだ、と、コロナにかかって、何もできなくなって気づきました。

この、過剰に責任を負うやり方、が、私の身体を心を、過剰に使って疲労させていました。

人が私の目の前でやらかしていることがあったとして、やらかしているなあ、と、静かに観ていることは、冷たいのではなく、境界線をしっかり引けた人の、自然な姿なんだ、と、今、思えています。

人を助けて自分が倒れるばかりでなく、その人が負うべき、責任や学びを私が取り上げてしまっているのだ、と感じています。

自分が取るべき責任の範疇はどこまでなのか?

過剰に責任を取ろうとする、小さな頃からの私の習慣、は、もう意識的に終わりにしよう、と今、決意しています。

そしてまた、私らしいやり方で、身体に溜まった毒、心に溜まってきた感情の蓄積も、せっせと日々出していこう、と改めて思うこの頃でした。

みなさんも、自分らしい生活で、コロナ禍の日々も、新たな幸せと豊かさで、満ち足りた毎日になりますよう、お祈りしています。

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