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「空前のテニスブーム」昭和40年代後半

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ187枚目

<「空前のテニスブーム」 © 2023 画/もりおゆう 水彩/ガッシュ 禁無断転載>

テニスブーム


1970年代中盤、日本に一大テニスブームが到来した。
猫も杓子もテニスコートへ!
ボルグとマッケンローの登場によってテニスは時代のスポーツとなった。

誰もがラケットを持っていた、と言ってもいいほどテニスは流行った。
真っ白なグリップのテニスラケットを抱えて、いかにもこれからリゾートに行く、という女の子や男の子が街を闊歩していた。真新しいラケットに真っ白なグリップという事は、平たく言えば殆どテニスをやっていないという事の証明なのだけれど、そんなことはドーでもいいのだ。とにかく、テニスウエアーを着た女の子は皆んな可愛く見えた。

当時のテニスウエアーは、女子はとても短いスコート姿、男子も非常に短い短パンだった。まぁ、僕的には男子はどうでもいいが(笑)
今と比べると露出度が非常に高いセクシーなウエアーなのだけれど、スポーツウエアというオブラートに包まれることで社会的に容認されていたように思う。本当の所、実は誰の目にも判るほどセクシーなウエアーだった。こういったウエアーの変化は時代がどんどん新しくなっていく様を映し出していたのだと思う。皇室や一部の富裕層だけでなく、庶民がテニスをする時代の幕開けだった。貧しい「戦後という時代」が確実に遠くなった時期だった。

大学生だけでなく、社会人にもテニスサークルが雨後の筍のように生まれ、リゾート地には次々とテニスコートが出来た。そして、そこへ春から秋にテニス合宿に行くことがトレンドとなった。テニスをモチーフにした青春小説「青が散る」(作/宮本輝)が文藝春秋に発表されたのもこの頃。


僕もその頃にテニスを始め、以来幾星霜が流れたが、相変わらずヘタの横好きの息を出ない(笑)


<蛇足>

当時、テニスウエアーは本当に高かった。
FILA(フィラ)やTACCHINI(タッキーニ)のトレーナなんて2万、3万が当たり前だった。50年前に、だ(笑)それなりにお洒落で比較的安かったのはルコック!

値段の話はさておき、テニスウエアーはやはり白が一番美しい


*余談だが、僕は大切なものをテニスから授かった。
職業柄、どうしても狭く限られがちな人間関係の中で幸いな事に僕はテニスを通じて多くの仲間や友人を得ることができた。さらに地域のスポーツ団体と関わりボランティアとして長く仕事をしたことは僕にとって良い経験となった。そういった事の中で僕は鍛えられ、学ぶ事も多々あった。スポーツを通じて多くの人と交われた事は、僕のような個人的な職業に携わる人間にとって有難いことだった。僕は若い頃によく本を読んだが、スポーツは書物から得られない全く別なものを人に与えてくれる。それは有無を言わさぬもののように思う。もしテニスをやっていなかったら、僕にとって社会はもっと狭いもので終わったのではないかと思う。

<©2023もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2023 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)


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