「五木の子守唄と子守り奉公」
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ137枚目
僕らは子供の頃、親に時々こう言われた。
「人攫いに気をつけなあかんよ、よその知らんオジサンについて行ったらあかんよ」
と。
ここで言う人攫いの意味は現代で言う誘拐とは少し意味が違う。
親が恐れたのは、人身売買。つまり子供を誘拐して労働力として売られる事だ。
こう言った恐れが社会にあると言うことは、そもそも子供たちが労働力として売買される現実社会があった事がその前提となる。貧しい農家の親たちが生活に困窮して金で自分の子供を売る、売らざるを得ない、それを買う富める者がいる。あってはならないことだけれど、遠い昔から戦後の一定期間まで長く人身売買は行われていた。
子守り奉公もこれに該当する。
子守り奉公とは「幼い女児が奉公先の子供を背負っって歩く労働」を意味する。ここで言う幼い女児とは自分が背負われてもおかしくないような年齢の児童を言う。泣かせようものなら罵られ、与えられる食事は粗末なもので、教育も満足に受けられない。思春期になれば娼婦になることが前提の場合も多々あったという。奉公という言葉が、過酷な現実を曖昧にしてしまっているのだ。
「五木の子守唄」と言う民謡がある。ご存知の方も多いかと思うが、これは子供を寝かしつける牧歌的な子守唄ではない。
歌詞の一部に次のような一節がある。
「おどま かんじん かんじん あん人たちゃ よかしゅ よかしゃ よかおび よかきもん」
かんじんとは小作人という意味で、自分達を貧しく乞食同然なものだと嘆き、それに比べてお金持ちは良い帯をして立派な身なりをしている、と歌っている。
五木の子守唄は人身売買の苦境から生まれた貧しき人々の哀愁の叫びだ。
終戦後、昭和22年に児童福祉法により児童の人身売買が漸く禁止される。
だが、先に述べたように人攫いへの恐れはまだその後何年も社会に残った。
僕らが生まれるほんの少し前までは、日本はまだそんな時代だった。
だから、親たちの意識に人攫いという言葉が残っていたのだ。
昭和30年代に入って日本はようやく古い因襲や制度から解き放たれ、昭和レトロと言って今懐古される時代になっていく。
<©2022もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2022 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)
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