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見えない世界の入り口

「この世界は、人間だけのものじゃない」

当時まだ両親が一緒に暮らしていたころ住んでいた家の裏に、野良猫の親子が住み着いた。

そのことに気づいた父親が猫たちに餌をやっていたときに「飼っている猫でもないのにどうして助けるの」かと聞いた覚えがある。そのことに対する答えが一行目のような言葉だった。

思えば父は不思議な人だった。彼は金型職人で手先が器用で、人間関係は不器用な孤独で寂しい、私に甘い人。私は父が家族以外の誰かと一緒にいるのを見たことがない。職場と家の往復しかしていないことは子供の記憶からでも容易に想像がついた。

私が尋ねたことには何でも答えてくれた。ちょっとした推理漫画を見せたら、犯人とトリックをあっさり見破ってしまったことをよく覚えている。物知りで頭のいい父は見えない世界のことにも詳しかったし、理解があった。

理系で現実的で物知りな一面と、今で言うスピリチュアル的なことに関して詳しい一面との取り合わせはそれなりにギャップがあるかもしれない。幼かった私はその両面に違和感を覚えることはなかったけれど。

見えない世界の話は父しかしない。兄も母もその手の話はしなかったし、興味を示すこともなかった。家の裏に住み着いた猫の親子が玄関先に現れたとき父は「子猫を見せに来た」と言ったし私はそういうものなんだと思ったけれど、側で聞いてきた兄は「あんなたわ言を信じるのか」なんて言った。ちなみに2人ともまだ小学生だったから、兄だってたわ言を信じてもいい歳だった。

私が見えない世界を認識するきっかけは間違いなく父がつくった。この上なく現実的な世界で生きていながら、見えない世界を感じ取っていたのだろうか。

職人の世界には「1000分の1」の仕事があるという。いわく、神の領域だとか。当然、肉眼では確認できない単位の仕事だから、「それ」が成されているかどうかやっている本人でさえ見ることはできない。しかし、顕微鏡などで確認すると確かに仕事は成されている。父はそんな見えない仕事が当たり前にある世界で生きていた。それがきっと見えない世界への理解に繋がったのだろうと思う。


私はずっと父の言葉と共に生きてきた。この一言のおかげで助けられたことが自覚がなくても山ほどあるだろうと思っている。


「見てわからない奴は、聞いてもわからない」

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