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現実について

現実はいつも私たちに付きまとう。

現実から勘案して、あれやこれやと思考するのがほとんどの人間である。

しかしよくよく考えてみてみると、未来も過去の連続であり、大抵予測がつくことが多いし、ちなみに今起こっていることも、全て過去の連続の中にある。

冷静になって考えてみると、現実についてあれやこれやと思考を巡らせることは、出来上がった数式の解の数式を、改めて覗きにいくようなこととさ程変わりがない。

そうすることによって人間は、さまざまな現象の原因を解明しようと試みるが、それは結局、無数の過去の掛け算の中に消えてしまう。

よって今現在起こっていることで悩み、苦しみ悶えることにさ程意味はない。なぜならそれらは過去に引き起こされた結果であり、それを変えことはできないからである。

もしこのことが理解できた時、初めて人間は未来を思考する。

それは過去、現在からの脱却あり、苦痛、苦悩からの解脱を意味する。

未来を思考する場合、過去に頼ってはならない。なぜなら未来は無限の可能性によって如何様にでも構築可能なのだからである。

ではなにが未来を特定するのか。それは「言葉」と「想念」であると私は述べたい。

言葉は言霊として、発散され、精神宇宙に影響し、発信源にそのままのリターンをもたらす。

想念はありとあらゆる書籍にあるようにもちろん、それも現実に大きな影響を及ぼす。

つまり私たちが明るくて輝かしい未来を希求するならば、まず過去に潜ることをやめ、悩み、悶えることをやめ、現実から自己を一旦切り離し、未来を思考し、その生成されてゆくプロセスを理解し、明るい言葉、想念、プラスの言葉、想念で暮らしてゆけば良いのである。

しかしそれには多大な信念と、意志力、それに加えた思考力と理解力、未来を想像するセンスが問われる。

もし仮にあなたがそれさえも兼ね備えていないというならば、もう一つ人間の根本の道が残されている。

それは祈りの道なのである。

「神様ありがとうございます」

という一つの祈り言葉。

ただそれを唱え続ける根源の道。

全ての一切を捨て去って、全ての一切と合一する道。

古代の聖者が追い求め、限りない努力と精力で持って自らに収めんとした道が今限りなく、今すぐそこに顕出してきているのである。

過去や未来という時間を超えた無限の奥にある光を私は今現今の地球にあって、見出そうとしているのである。

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