【祝福の中で産まれた事を】 【愛されて育った事を】 【母には母の苦渋があった事を】 【自分が赦せるのかという事を】

2021年5月23日。32年前に失踪した母を探しに、最後の消息が分かっている場所に行ってきた。結果だけを言えば、「母」はそこにいなかった。


ただ、僕はそこで、「母」が見たであろう景色、感じたであろう風、浴びたであろう太陽の陽を浴び、「母」を探せるようになった自分に出会えたことで、母への憎悪にも近いような感情は、「母も一人の迷った普通の女だった」という事に改めて気づき…「母」を愛せることに気が付いた。


「母」に会いたいと思った事は、正直言えば無い。本当に無い。ただ今回、「母」を探しに行くと決めた理由はいくつかある。手痛い失恋をしたがその人に「心の傷が深すぎて私じゃ癒せない」と言われていたこと。尊敬する先輩に僕が持つ弱点の由来を超克するには会った方がいいといわれたこと。


そして、何より。自分も離婚して、子供と離れて暮らす事になった自分が、まるで蒸発した「母と同じ道」を歩んでいるんじゃないかって、思えたからだった。


改めて。最近の幾つかの投稿で記載していますが、僕の母は約32年前に突如蒸発している。父親はその前に亡くなっており、僕は祖母と兄に育てられた。母も父もいなかったが、僕は幸せだった。祖母と兄に見守られて、大人になれたからだ。


自分で言うなーだが、変にグレル事もなく、社会人になれたのは二人のおかげだ。だから、特段、「母」に会うという必要性すらもなかったっと思っていたが、僕は「母」がいなくなったトラウマを自分でも気が付かないうちに抱え、そのトラウマのまま生きてた、っと指摘された。


だから、だから。「母」が生きていれば70代中半になるわけで、余命を考えると今しかないと思ったし、その旅は、自分にはたくさんの「母」がいるって事にも気づかされた旅だった。


母に会いに行く。誰か一緒に行こう。
そんな言葉を投げかけたところ、たくさんの友人が声をかけてくれて、すごくうれしかった。本当に感謝しかなかった。改めてお礼を。本当にありがとうございました。

そんな中、今回の旅程に付き合ってくれ、楽しい珍道中になったのは。「母親」をしてくれたご両名がおりました。


東京から、茨城県神栖市へ。
三人で爆笑しながら止まらないおしゃべりをして、お袋がいたであろう現地に昼過ぎに到着。親戚の遺産相続の関連で遺産放棄手続きのため、お袋の居場所がたまたまわかっていた。しかし、それは約30年前の話。


いないだろうなぁっと思いつつ、でも、万が一があるのか?なんて思うと、さすがに妙にドキドキ。あんだけ車で爆笑していたのにさすがにみんな、緊張した心持になる…が、既に結果を伝えている通り、「母」はいなかった。


足跡を探そうと方々に電話したり、なんなり確認してみたが…さすがに30年前。どうにも手の打ちようがなかった。半分ホッとしつつ、自分の胸の沸き立つ気持ちは、「母」がいなかったという事よりも、「自分が母を探せた」という満足感に近いものだった。


数年前までの自分であれば。いあ、数年前から正直居場所はわかっていた。でも、探そうとしなかったわけだ。その気持ちが前向きになった事や、時間やお金を使えるようになった自分に対する成長度もある種、自己満を感じさせてくれた。お金にならないお袋探索のために、飛行機代を出せるようになったわけだし、自由な時間を作れるようにもなったわけで。


そんな自分に出会った時、母親を赦すのではなく(表現が偉そうだけど)、それ以上に、「母に会えなかった自分を赦せた」気がした。


するとーっだ。僕も少なからず人の親になった身で。普通に考えれば、母は自分のお腹を痛めて生んでくれたわけだし、七歳まで面倒を見てくれたって事は、おむつ交換ないしおっぱいを恵んでくれたわけだ。


ありていに言えば。「愛されていた」わけだ。家族の祝福の中で産まれ、育てられた。ずっとずっと、「愛されていたか?」が疑問ではあったが、「愛されていた」のだ。ただ、「愛されていた」事を認めることは、「母が突然いなくなったことを赦す」ことだと僕はどこかで思っていたに違いない。愛されていたなら、それを認める事が愛だって。


でも。母が見たであろう景色、感じたであろう風、浴びた陽の光。同じ場所で同じものを感じた時に。母がどんな半生をそこで育んだかは分からないが、母も子供の親の前に、一人の人間で、幸せを掴んでよい当たり前の権利があったわけだ。


幾つかの場面が記憶によぎる。親父に怒られた時に必死にかばってくれた母。小児喘息で苦しんでいる時に手当してくれた母。親父が倒れたという電話に悲鳴を上げた母。親父が死んだ時に僕を抱きしめてくれた母。むろん全てが良い記憶でもない。


早朝、タクシーに乗り込む母の背中。たまたま車の音がして目を覚まして、窓から見えたその母の背中かから…32年。きっとお袋はお袋なりに必死にあがいた気がした。勘違いかもしれない。でも、それでいい。僕も離婚して子供と離れたけど、あなたと違う道を選んでいるから大丈夫。


結果として。僕は今。「母」を探しに行くというと、声をかけてくれたたくさんの友人や。母的世代の繋がりで、多くの「母親」が周りにいることに気が付けた。少し人とは違った人生だし、ちょっと遠回りしたかもしれないけど、こんな楽しい人生を歩ませるために、僕を産んで育ててくれたことを、今は素直に感謝できるようになったよ、かあさん。


かあさん。ばーちゃんはきっと悔いなく人生を歩んだと思う。分からないけど。兄は僕が知る中で一番忍耐強い男だよ。僕はもぅあなたを恨んじゃない。愛してる。だから、これだけはわかっていてほしい。


いつかどこかで会えたら。抱きしめて。
たとえ、互いに出会うのが死んだ先でも。

世界を盤上事ひっくり返して、子供達に笑顔を!