それでも世界は回り続けていくよ【書籍紹介】「この世の喜びよ」(著:井戸川射子)
昔からコミュニケーションが苦手でした。
どうやらコミュニケーションというシステムが先にあって、そのシステムを動かすために人間がその上でふさわしい振る舞いをしている。
なんとなくそういうもんだと理解していた。
でも実際に自分がそこでふさわしい振る舞いができるかと言えばそれは難しくて、振る舞うどころか何が起きているのか?いつもそれを把握するだけで精一杯だった。
外から観察をしているのと、その中の登場人物として立ち振る舞う、同じことのようだけどこれはだいぶ違うこと。
わかればわかるほど、わからなくなる。
だから今でもコミュニケーションは苦手だ。
コミュニケーションは、その時その時にいろいろなものが、いろんな方向から飛んできて、それが重なり合ってできている。だからいつまでたってもよくわからない。
読み終えたあと、その本の内容よりも自分の過去の記憶を思い出すことに頭のリソースを使っている。そしてその本の内容と過去の記憶が混ざり合って新しい何かがつくられていく。
今回のnoteはそんな読後感、体験ができる1冊を紹介します。
第168回芥川賞受賞の「この世の喜びよ」です。
この世の喜びよ
二人の娘の子育てを終えた主人公「あなた」は、ショッピングモールの喪服売り場で働いている。近所ということもあって喪服のまま自宅から週に5回ほどもう10年以上も通っている。
ある時、あなたはショッピングモールのフードコートに夜遅くまでへばりつくように座っている少女がいることに気付く。その少女は中学3年生で、このフードコートで勉強をしていると言う。
家ではなくて、このショッピングモールのフードコートで勉強をしている。
それは、少女の母親は専業主婦のため1歳の弟が保育園に入れず、しかも「3人目が欲しい」と病院に通っているため、家にいると弟である1歳の赤ん坊の子守をさせられる。
だからここで勉強をしていると少女はあなたに言う。
寝かしつけても寝ない。こっちの意図を組まない。幼児の姿に腹が立ってオムツを弟の近くに投げつけたら、おしっこを含んだ部分が粉々に飛び散った。
家にいると気まずくなる。
だからキリキリの時間までここで勉強しているのだとあなたに伝える。
弟なんか欲しいと思っていない。
少女から言葉になっていない言葉があなたには聴こえてくる。
あなたは少女との対話の中で、自分が二人の娘の子育てに苦労していた過去の自分を思い出す。その過去の自分を思い出しながら、それを目の前にいる少女に重ねながら話を聴く。
少女は自分の思いをあなたへ伝えるうちに感極まり涙を流す。
あなたと少女は距離は近くなり、クリスマスにはショッピングモールのバイキングでゴハンを食べて、ゲームセンターで一緒にメダルゲームをして過ごす。
少女の対話の中で、「あなたと少女」の関係は「大人と子供」から「親とわが子」、そして「現在と過去」と幾重にも重なっていく。その中で大人になっていく上で削ぎ落としてきた部分を思い出しながら、あなたは少女のためのを思って必死にアドバイスをしようとする。
でも最後は最後はあなたと少女は口をきかなくなる。
その日から、あなたと少女は同じショッピングモールにはいても目も合わせないし、話もしない。
初めて話す前からあなたがその少女がそこにいたことに気づいていたように、少女もあなたがいることに気づいていた。喪服売り場にいる担当の2人、ミニスカに安全靴の加納さんと髪にバレッタをつけているあなたをしっかり認識していた。
それは今でも何も変わっていない。
それでもショッピングモールはスムーズに回り続けている。
ある時、子供を載せたベビーカーを押す家族連れがショッピングモールの喪服売り場に訪れる。あなたは、お子さんかわいいですね、二人とも小さなお子さんですね、と今度は店員として正しい振る舞いをする。
少女も、ベビーカーの中で好き勝手に暴れる弟とは対象的にその家族の一員としてその中で静かにしている。あなたと少女は目も合わせないし、話もしない。その家族の中で、その場で正しい振る舞いをしている。
喪服売り場も、ショッピングモールも、今日という1日もスムーズに回り続けている。
ショッピングモールの喪服売り場の店員であるあなたと、自宅にいたくないからフードコートまで夜遅くまで勉強している少女が話をする理由は、このショッピングモールにどこにもない。
それでも、それなのに、あなたは少女に伝えたいことがあったのだ。
それだから昔を思い出したのだ。
昔から夢とか、自分の好きなことがなかった。
昔から夢とか、好きなことがなかった。
それで困ることはなかったけど、周りの人たちが困っていることに気づいた。
どうやら夢とか自分のやりたいことがある方がコミュニケーションというシステムはスムーズに回っていくらしい。
だからシステムをうまく回すために、システムの潤滑油としてその場その場で夢とか自分の好きなことをノリで創作するようにした。
でも次にその人と会った時にそれを思い出さないといけないし、忘れてしまっているとやっぱり話が噛み合わなくなる。
わかったと思ったその次の瞬間にまたわからなくなる。
経験を積み重ねれば積み重ねるほど難しくなっていく。
この「この世の喜びよ」もとても難しかった。
読めば読むほど、わかったと思うほどまたわからなくなっていく。
それでも世界は回り続けていく。それとは関係なく。
だから一緒に回り続けていく。
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AIを使えばクリエイターになれる。 AIを使って、クリエイティブができる、小説が書ける時代の文芸誌をつくっていきたい。noteで小説を書いたり、読んだりしながら、つくり手によるつくり手のための文芸誌「ヴォト(VUOTO)」の創刊を目指しています。