七草にちかと”○○になりたい”と願う気持ち

こちらの有料記事で4月7日に書いた文章を少し編集して公開します。
毎日考えた事を書いているので興味ある方は是非


「アイドルマスターシャイニーカラーズ」というアプリのゲームが好きで、よくやっています。プロデューサーとなってアイドルを育成するゲームなのですが、最近”七草にちか”という新キャラが登場し、紹介PVの時点で心惹かれるものがあったので、昨日プレイしてみたのですが、これが想像以上に自分の心をを揺さぶったので、彼女を起点に「”○○になりたい”と願う気持ち」について考えて行こうと思います。

ネタバレになるのであまり詳しくは言えませんが、何かしらの輝きを持っていて今までのアイドルに比べて、彼女ははっきりと「才能がない」とプロデューサーに言われてしまいます。(今まで”普通”を売りにしているようなアイドルもいたけど、ここまでハッキリ言われてなかった)
作中でも「平凡」と言われ、それを本人も自覚している。自覚しているからこそ”八雲なみ”という伝説のアイドルという憧れの存在を追いかけて、彼女の曲を練習したり、ダンスでも彼女のステップを模倣したり、「八雲なみのようになりたい」と願いながら、アイドル活動を進めていきます。その理由も「ありのままの自分は平凡すぎてアイドルになれない」とわかっているから。だから憧れの存在の真似をする。

本編ではそこから更に二転三転していくので、是非プレイしてほしいのですが、一応のクリアと言える「W.I.N.G」という大会を優勝した後でも、彼女は本質的には全く救われておらず、「シャニマスさんよ・・・」という気持ちになりました。今までも似たような悩みを持つアイドルはシリーズで登場したことはありますが、ここまで深くえぐってくるシナリオは初めてだったかもしれません。

僕は「○○のようになりたい」という気持ちが痛いほどにわかります。わかり過ぎるから、物語を進めていくのがとても苦痛でした。でも目をそらす事もできませんでした。それは紛れもなく自分の物語でもあったから。

僕は芸人を志す前からお笑いが大好きでした。芸人が大好きでした。
社会人になってからもお笑いライブに行く事だけで何とか生きながらえる事ができました。大好きな芸人は山ほどいます。今でも単独ライブに足を運ぶし、YouTubeでネタを観まくります。

そしてその後必ず「ああ、この人のようになりたいな」と思ってしまいます。

芸人になってから「誰かに憧れる」という気持ちが一番必要ないという事に気づきました。必要ないというか「憧れてはいけない」という事に気づきました。いくら憧れても自分はその人になれない、それどころか二番煎じの質の悪いパロディのようなものになってしまい、大切な「自分のお笑い」というものを見失ってしまう危険性があります。

だから「自分は自分にしかできない事をやるしかない」と言い聞かせるところからすべては始まります。ある種のあきらめを何度も繰り返しながら自分にしかできない事を探っていくのが、自分にとってのネタ作りだとも思っています。

昨日書いた通り(※そういう話を有料記事で書きました)僕は自分に期待している部分があるけど、期待しているからこそ自分が凡人だと打ちのめされる事も多々あります。簡単に足を踏み入れてはいけない世界だったのかも知れないと思います。

それでもお笑いが好きだから、凡人でもしがみつきたいから「○○のようにやればやっていけるかも」と思ってしまうのです。その人に憧れているのだから、その人のようになりたいと思うのは自然な事です。自分の面白さを信用していないのなら尚更です。でもそれではダメなんです。「自分」を見せていかなけれなダメなんです。

自分の平凡さを受け入れて、それで平凡のまま輝こうとしなければ何者にもなれない。でも平凡がゆえに輝ける可能性は限りなく低い。それを理解したうえで進んでいくしかない。

七草にちかの物語を見ても、どう転んでも傷ついていく未来しか見えず辛くなってしまいました。でも進んでいくしかない。凡人が夢を諦められないなら傷つきながら進んでいくしかありません。彼女と共に自分も進んでいきたいと思いました。

頂いたサポートでドトールに行って文章を書きます