「タイトル未定」第一章

※2020年5月6日の文学フリマで販売する予定だったエッセイを、まるごとnoteに載せるという活動をしています。詳しくは↓


第一章「うまく説明できないけど」

芸人になってから一年ほど経った三月上旬に「夏に単独ライブをする」という告知をした。
僕が会社を辞めてから一年間をどのように過ごしたかは、「どうやっても明けない夜」という本に書いてあるのでここでは割愛をする。少しだけ詳細を書くと


「会社を辞めて芸人になると言ったものの、絶対にコンビを組みたいそして男女コンビを組みたいと思い、コンビを解散したばかりの知り合いの女性芸人を誘ってお試しで組んだものの、僕がいきなりネタを一六本送りつけたりそもそもあんまりもうお笑いに興味がなかったっぽいという事もあり一度も舞台に立つことなく解散。その後は相方を探しつつ一人で舞台に立ちたまにコンビを組んだりするけどうまく行かずどっちつかずで気が付いたら一年経っていた」

という状況だった。要は何にも残るようなことはしていなかった。
 そんな状況での「単独ライブをする」という告知は、僕にとっては「もうこれからはコンビを組まず一人でやっていく」という覚悟を込めたものである。
「うわああ」と言いながらツイートをした記憶がある。覚悟の「うわああ」だ。
 さて、お笑いを普段見ない人にとって単独ライブとはどのようなものか説明しよう、と思ったのだが、お笑いを見たことが無くても「単独ライブ」という文字だけである程度想像がつくだろう。あまり読者を舐めないほうがいい。すみません。


 まあ、予想通り僕が一人でずっとお笑いをするライブの事である。なんと間抜けな説明だろうか。こんな間抜けな説明を振りかぶってしようとしていた自分が恥ずかしい。

ただ実際はそんなに間抜けなものではない。たった一人で舞台に立ち続けお客さんは僕だけを見に来るのだ。僕だけを見るために朝起きて、ご飯を食べて、服を着て、電車に乗って、電車を降りて、歩いて、前から人が歩いてきたら避けて、会場の住所を調べ会場に着き、階段があれば階段を使い、階段が無ければそのまま入り、受付でお金を払い、そこから一~二時間は僕だけを見続けるのだ。自分の為だけに一人一人がそこまでしていると思えば中途半端なことなどできる訳がない。お笑いライブを今すぐ中止にして一人一人の顔をしっかり見て握手をして「僕のためにありがとうございます」と言い続ける会にした方がいいのでは?と思うが、「お笑いをしろ」と怒られてしまうのでお笑いをします。

とはいえ、お客さんは僕を見に来ているのだから全員味方、全然心配するようなことなんてないでしょ?と思われがちだが、単独ライブという事は不思議とそのような温かい空気を捻じ曲げたりもするのだ。

 先輩から「キングオブコント準決勝に進出したこともある面白い芸人の単独ライブがずっとちょっとすべってた」という事を聞かされた時の僕の恐怖と言ったら。しかも、そのライブを見ていた先輩曰く面白いネタをやっていたというのだ。面白いネタをやってその人たちのファンがいる空間で理由もわからずちょっとすべり続ける事がある、という事実は僕を震え上がらせた。

 そして何を隠そう、僕自身が単独ライブというものに強い憧れを抱いているのだ。東京に来て初めて見たお笑いライブは好きな芸人の単独ライブだった。
「こんな近くに大好きな人がいる」という感動で胸がいっぱいになった事を今でも覚えている。気が付いたら終演後にグッズを買ってサインをもらいに行っていた。
 憧れが強すぎると、いざ自分がその立場になると上手く行かないこともあるという事も理解していたが、こればっかりは憧れや理想を追いかけさせてくれないとやる意味がない。

 当時の僕が出演していたライブは、いわゆるフリーライブと呼ばれるものばかりだった。「劇場もスタッフもこちらで揃えますので出演する場合はお金を払って出てください」というライブだ。
 ネタ時間は三分。エントリー料は一人二〇〇〇円。そのライブで優勝すると一つ上のライブに出演できるというものがほとんどだった。ツテもコネも無い、「宣言」によって芸人だと言っている人間にとってはそのようなフリーライブぐらいしか人前に立てる機会が無かった。
 しかし、そのようなライブには中々お客さんは入らない。一〇〇人入る劇場で客席に三,四人しかいないという事もザラだった。電車に乗って会場に行ってお金を払って三分間すべり続けて帰る。来る日も来る日もそれを繰り返した。
荷物を置いたり着替えをする狭いスペースには「フリーライブ番長」的な人が三人分ぐらいのスペースを占拠し大声で何かを話している。何を話しているかわからないほど僕は楽屋では心を閉ざしていた。心の中で「こんなものは楽屋じゃない苦屋だ」と思っていた。
僕もそいつらも全員すべっている。ライブでも楽屋でもずっと。すべるために電車に乗ってすべるためにお金を払ってすべるためにネタをする。
こういう地獄の日々を耐え抜いた人間だけが成功するんだ、と繰り返し繰り返し自分に言い聞かせ、たまにある「ちょっとウケた瞬間」を忘れないように大切に心にしまい込み、同じような境遇の友達と愚痴を言いあい、また地獄行きの電車に乗り込む。
 そうだ、好きなことをして生きていく世界が甘いわけがない。地獄に決まってるだろ、と言いつつ、その地獄のために好きでもなんでもなく、フリーライブに勝つためだけのネタを作り続けた。そのネタでたまに優勝して上のライブに出演してすべってまた地獄に逆戻り、という生活が一年ほど続いた。自分がなんのためにお笑いをしているかわからなくなっていた。地獄に行くためのお金を地獄みたいなアルバイトで稼ぐという構図にも、もう耐えられなくなっていた。

 もうフリーライブに出ない、という事と単独ライブをしよう、と決めたのはほぼ同時だった。周りの人の事ばかりを考えて窮屈になってやりたくもない事をするのはもうやめようと思った。もっと自由に好きなだけ好きなことをしたい。単独ライブとは唯一無二の僕が一番深く呼吸ができる場所なのだ。

 初めての単独ライブという事で著しく気合が入っていた。フライヤーを作成するために「風船を宙に浮かせたい。俺が用意するから」と言って何の変哲もない普通の風船を持って行って「ヘリウムガスが無いと飛びませんよ・・・」と呆れられたり、今までやった事が無いネタをしたいと思って怖いネタを提案したら「お笑いライブなのに怖すぎる。何がしたいんだ」と反対されたりしたが、しがらみも無く自由にやりたい事を作れる時間は楽しかった。どこで使うかもわからない、「実はこのコントの登場人物はこの人物と知り合いで~」なんて設定を考えている時は、大乱闘スマッシュブラザーズぐらいの夢の競演を自分が作り出しているのだ、とうっとりとしたものだ。
 自分は何かとんでもない事をしようとしているのではないか、と思い始めたのは本番まで一週間を切った頃だった。ありがたい事に予約数も伸びていき、公演数を増やすほど、たくさんの人が見に来てくれる意思を示してくれていて、全てがうまくいっているはずなのに、一人で舞台に立ち続ける自分の姿を想像したら怖くて堪らなくなった。
 薄暗い小劇場で、舞台に立つ僕の姿を見るたくさんの眼球、僕がいくら声を張り上げようと全く届かず、一笑いも起きず幕が下りる。わざわざ時間を作ってお金をかけて来てくれた人が僕に失望して「もう二度と来ない」という気持ちで一目散に劇場から去っていく姿を想像して涙が止まらなくなった。

 僕は昔からそうだ。「面白い」と思われるより「つまらない」と思われたくない。口を開いてつまらないと思われるぐらいなら何も話さず「面白くもないけどつまらなくもない奴」と思われる方がマシだ。
 しかし、単独ライブなんてしてしまったらもう言い訳のしようがない。
「これが自分がやりたかった全てです」と堂々と宣言して全く受け入れてもらえなかったら、それは僕自体が受け入れられないという事と同じである。
 自分で劇場を抑えて自分でフライヤーを作って自分で告知をして自分でネタを作って、すべて自分でやっていることなのに、その全てが恐ろしく思えてきた。
 このライブを手伝ってくれた島野という男に「とても怖いです。やりたくありません」と言っても、「そりゃそうでしょ。でもやってください」と言われて全く取り合ってくれなかった。
 恐ろしいがやるしかない。人生の一番の正念場はここかもしれないと思った。

 本番当日、朝からリハーサルをして何か食べる時間も無い。緊張で何か食べたいと思う余裕もない。
 まだ完全に覚えきれてないセリフもある、あそこの部分の声の抑揚は結局どうすることにしたんだっけ、ああ衣装を忘れてかもしれない。
 なんてことを考えていたらあっという間に開演時間になった。真っ暗な舞台に一人で立つ。ここから九〇分、休憩を挟んでまた九〇分、自分はここにいる人たちに試されるんだ。最初のコントの始まりを告げる波の音が聞こえてきた。ゆっくりと舞台が明るくなっていく。

 そこからはあまり覚えていない。はっきりと覚えているのは最初のコントで思ったより反応が良くてホッとしたことと、五つ目のネタぐらいで「あ、今俺は単独ライブをしているんだ」と思った事、自分が一番好きだけど一番ふざけているネタで大きな笑いが起きて堪らなく嬉しくなった事、一つ目の公演が終わり楽屋で「お笑いライブだからもっと笑わせる努力をしないと」と思い二公演目のセリフや動きを可能な限り変えた事ぐらいだった。
 気が付いたら全部終わって気が付いたら駅でガムを踏んでいて気が付いたら家に帰って部屋の隅で体育座りをしていた。
 ツイッターで何度も自分の名前やライブ名で検索をかけて、反応を見ているうちに「ああ、自分は単独ライブをやったんだ」という実感が湧いてきた。そう思ったら急に一日何も食べていない事を思い出し、家から徒歩で二〇分ほどのびっくりドンキーに行くことにした。
 夏の夜を歩くのは大好きだ。前日に台本片手に歩きながらセリフを反芻していた時とは違い、全て終わったのだという晴れやかさで、体の疲れはあるけれど足取りは軽かった。
 深夜三時までやっているびっくりドンキー(本当にありがとう)に着いたのは、一時ごろだった。普段ならこんな時間から外食なんてしないが今日だけは特別だ。
 チーズバーグディッシュと期間限定のビールを注文した。アンケートを読みながら一人で打ち上げと行こうか、と思い幸せな気分に浸っていたのもつかの間、テーブルに置かれたチーズバーグディッシュの大きさに、自分が今全くお腹が空いていない事を思い知らされた。
 「今日一日何も食べていないという事はお腹が空いているに決まっている」というのは、何も食べずに単独ライブを二回やった事がない人の意見だ。
 極度の緊張から解放された僕はさぞお腹が空いているだろうと思っていたのだが、その見積もりは甘かった。全く何もいらない。何も口に入れたくない。張り切って三〇〇gにご飯を大盛にした自分を張り倒したい。
 あまりの「食べれなさ」に思わず涙を流してしまった。
 ライブの最後に挨拶をした瞬間でもなく、「良いライブでした」と涙を流してくれたお客様の前でもなく、手伝ってくれたスタッフさんに感謝の言葉を述べている時でもなく、チーズバーグディッシュが大きくて食べられないと思った瞬間に涙を流してしまった。
 薄っすら目に涙を浮かべながら肉と米を酒で流し込むことによって僕の単独ライブは終わりを迎えたのだった。




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