ゴールデンカムイ 不死身の杉元のルーツを追え!
テレビアニメ、「ゴールデンカムイ」の第三期がはじまり、毎週盛り上がっています。
わたくし大塚某の奥さんは北海道の人なので、地縁もあるためアイヌ文化の描き方などにも興味を持って見ているところです。
実はアイヌの楽器、トンコリなども自作したことがあり、親近感の湧くことったら!
さて、ゴールデンカムイの主人公、「不死身の杉元」こと杉元佐一は、実は実在の人物がモデルになっているとのこと。その人は、ゴールデンカムイ作者の野田サトルさんの曽祖父さまで、実際に日露戦争にも従軍なさった記録があるようです。
https://natalie.mu/comic/pp/goldenkamuy/page/2
野田さんのインタビューでは、モデルとなった「杉本佐一」さんは九州のご出身となっています。
また、杉元の字が本来は、「杉本」であることはウィキペディアに掲載されています。
さて、どなたかのご先祖様というのは、究極的にはそのご一族の個人情報ですから、とても尊重すべきものです。ですので、この記事でも野田さまや、そのご先祖の杉本さまのプライバシーには十分に配慮して、書き記してゆきます。
公的に公開されている事実のみに基づいて、また、その部分を多少まろやかにぼかしながら、不死身の杉元の強さの秘密に迫っていくことにしましょう!
杉元佐一のモデル、「杉本佐一」さんは「元」の字が異なっているのですが、なぜそれがわかるかと言うと、屯田兵として北海道に入植した方は、すべて名簿で確認できるからで、実際には「杉本佐一」という人物がきちんと記録されているので、元の苗字が判別できる、という仕組みです。
屯田兵名簿には、いろいろな付帯情報が含まれているのですが、これも個人情報に関わりがあるので、ざっくりとだけ書いておきましょう。もちろん、名簿は公開されているため、秘匿されたプライバシーというわけではありません。
きちんとした手段を踏めば、杉本佐一さんの実在を、誰でも確認することができるでしょう。
さて、この佐一さんですが、屯田兵上の記載は「岐阜県本巣郡」になっています。
野田さんのお話だと「九州」ということになっているので、もしかすると「本籍が岐阜で、そのあと九州でいくらか過ごされた」のかもしれないし、「もともと九州で、岐阜にあるとき拠点を持った」のかもしれません。
そのあたりの事情は、個別のおうちのお話でわからないため、ここではそっとしておきます。
ルーツ調べの方法としては
◆ 杉本氏は、岐阜に本拠があった氏族である
という仮定に基づいてお話したいと思います。(あくまでも推定です)
本巣郡には、杉本氏という氏族が確認できます。
もともと、杉本という苗字は全国のどこにでも多いものですが、岐阜では、3箇所くらいに分かれて比較的まとまりのある母集団が分布しており、「武儀郡」「揖斐郡」「本巣郡」などに分かれて15軒程度ずつのおなじ苗字が見られます。
ある集落で15軒くらいに子孫が増えている、というのはざっくりといえば戦国時代ごろからそのあたりにいる、ということになるでしょう。だいたいそういう場合は、戦国武将としての小領主で、小さな村を治めていた可能性が高いです。
もちろん、半士半農で、もともと武士の家柄なのか、もともとは在地豪族(農民)の家柄なのかは、なんともいえません。そのあたりがごっちゃになっているのが、戦国時代らしいところです。戦国大名の大半は、出自不明、家柄不明の者が多いので、あまり気にせずにいきましょう!
さて、「本巣郡志」には次のような記述があります。
『濃陽諸士伝記に美江寺の城主・和田八郎・・・ならびに杉本市郎兵衛、代々土岐の幕下なり。天正11年9月3日の夜軍に、城を焼き落とされ』
『名細記に、杉本市兵衛も、この城に住みしかと言えり』
これらを見ると、美江寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%B1%9F%E5%AF%BA
の城との関わりがわかります。
美江寺城は現在の瑞穂市の船木村にあった城で、↑の美江寺は信長の命(斉藤道三とも)で、移転させられた後のもの。
このように、本巣郡や現在の瑞穂市には、「杉本氏」という武士がいて、土岐氏に仕えた武将であったことがわかります。
城主の和田氏がメインに書かれていますが、ほぼ同格で
◆ 杉本市郎兵衛もしくは杉本市兵衛
という武士がいたことがわかります。
https://www.hb.pei.jp/shiro/mino/mieji-jyo/
http://kojousi.sakura.ne.jp/kojousi.mieji.htm
などのサイトもご参考になさってください。
さて、「濃陽諸士伝記」には、もうすこし面白いことが書いてあります。
◆ 杉本市兵衛直定
というのが本名だとわかります。
そして、池田郡本郷城の「和田佐渡守義繁」に対して
◆ 八郎将監義直
◆ 瑞門院可心
◆ 杉本市兵衛直定
の3人は「其の子」であると書かれているのです。
ということは、杉本氏は和田氏の分れの可能性があるということですね。
ちょうど、今NHK大河ドラマでやっている明智光秀とも関係がある「美濃・土岐氏」の家臣であり、斉藤道三が台頭する直前の美濃で活動していることがわかり、なかなか面白いです。
もしかすると、明智光秀と杉本氏はどこかで出会っていたかも?なんて妄想がふくらみますね。
https://www.library.pref.gifu.lg.jp/gifuken-mokuji/gifuken/siryo_kodai_1.htm
岐阜県史には、豊臣政権時代、文禄年間の「杉本定則」の署名文書が残っています。少しだけ時代は下りますが、これも、おなじ一族のものかもしれません。
和田氏そのもののルーツは、よくわかっていません。ただ美江寺が土岐氏の崇敬を受けていて、荘園を寄進しており、文明2年に土岐持益
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B2%90%E6%8C%81%E7%9B%8A_(%E5%AE%88%E8%AD%B7)
が美江寺で出家して「道賢」と名乗ったことが「美濃国諸旧記」に記されています。
また、持益の子(養子)である土岐成頼がここではじめて、「和田氏」に命じて美江寺のお堂などを整備させており、和田氏は室町時代までは遡れることになります。
和田と杉本の語源、由来については明らかではありませんが・・・。
というわけで、ゴールデンカムイ、「不死身の杉本」のルーツは、美濃守護、土岐氏の家臣の戦国武将だった!ということで、本日はおひらきということで(^^
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